【技術士試験】ホームズの推理:なぜ知識のある技術者が不合格になるのか(後編)

「知識の点」を「合格答案の線」へ変える方法

プロローグ 完璧な答案を暗記した男

翌朝、ベイカー街221B

ワトソン博士は、一冊の分厚いノートを抱えて部屋へ入ってきた。

ワトソン博士
「見てくれ、ホームズ。過去のA評価答案を集めて、一冊にまとめた。これをすべて暗記すれば、どんな問題にも対応できるはずだ」

ホームズはノートを受け取り、数ページをめくった。

シャーロック・ホームズ
「実に見事な資料だ」

ワトソン
「珍しく素直に褒めるじゃないか」

ホームズ
「資料としては、だよ。これを暗記して試験に持ち込もうとする計画は、見事な失敗例だがね」

ワトソン
「なぜだ。A評価答案なら、内容は優れているはずだろう」

ホームズ
「その答案が答えた問題には適していた。しかし、今年出る問題に適しているとは限らない」

ワトソン
「テーマが同じなら、使えるのではないか?」

ホームズ
「そこが、知識のある受験者を不合格へ導く罠なのだ」

第1章 同じテーマでも、同じ問題ではない

例えば、「インフラの老朽化」がテーマであったとする。

ある問題では、維持管理の効率化を求めている。

別の問題では、災害時の機能確保を求めている。

さらに別の問題では、人口減少下での事業継続を求めている。

対象、条件、立場、制約が異なれば、必要な課題も解決策も変わる。

ホームズ
「問題文に『限られた人員で』とあれば、人材制約を踏まえる必要がある。『地域住民の理解を得ながら』とあれば、合意形成が重要になる。『既存施設を活用して』とあれば、全面更新を前提とした解決策は設問に合わない」

ワトソン
「答案の一部は使えても、全体をそのまま使うことはできないのか」

ホームズ
「そうだ。問題文は、答案の方向を決める設計条件だ。それを無視して、覚えた答案を書けば、技術的に正しいことを書いていても設問不適合になる」

技術士試験には、唯一の模範文章はない。

しかし、何を書いてもよいわけではない。

問題文が与えた条件を守る。

設問ごとの要求に答える。

課題と解決策を対応させる。

専門的に成立する内容を書く。

論理の飛躍を避ける。

この基本条件を満たす必要がある。

A評価答案は、その条件を満たした一つの解答例である。

万人に使える原稿ではない。

第2章 A評価答案から盗むべきもの

ワトソン
「では、A評価答案を読む意味はないのか?」

ホームズ
「逆だ。非常に価値がある。ただし、盗むものを間違えてはいけない」

盗むべきものは、文章そのものではない。

思考の順序である。

なぜ、その観点を選んだのか。

なぜ、その課題を抽出したのか。

どの背景や原因から課題へつないだのか。

なぜ、それを最重要課題と判断したのか。

解決策は、どの原因に対応しているのか。

解決策による効果を、どのように示しているか。

相反する要求事項を、どのように調整しているか。

実施後のリスクを、どのように評価しているか。

ホームズ
「完成した建物だけを見て、同じ建物を造ろうとしてはいけない。基礎、構造、施工手順を読み取るのだ」

ワトソン
「文章を暗記するのではなく、文章が組み上がった理由を分析するのだね」

ホームズ
「そのとおりだ。優れた答案を読んだら、内容を隠して骨子だけを再現してみるとよい」

例えば、次のように整理する。

背景。
問題。
原因。
観点。
課題。
最重要課題の理由。
解決策。
効果。
新たなリスク。
対策。

この構造が理解できれば、別のテーマにも応用できる。

一方、完成した文章だけを覚えれば、問題が変わったときに動けなくなる。

第3章 知識は「点」のままでは答案にならない

ホームズは、紙の中央にいくつかの言葉を書いた。

「人材不足」
「老朽化」
「DX」
「予防保全」
「地域住民」
「コスト」

ホームズ
「ワトソン君、これで答案を書いてみたまえ」

ワトソン
「人材不足と施設の老朽化に対応するため、DXを推進し、予防保全を行う。また、地域住民と合意形成を図り、コスト縮減を進める」

ホームズ
「典型的な不合格答案だ」

ワトソン
「一行で切り捨てるとは、相変わらず容赦がないな。どこが悪い?」

ホームズ
「すべての単語が孤立している。なぜ人材不足が問題なのか。DXによって何が変わるのか。予防保全とコスト縮減は、どのようにつながるのか。地域住民とは何を調整するのか。何も説明されていない」

知識は、単独では点である。

答案にするには、点と点の間に関係を作る必要がある。

例えば、次のようにつなぐ。

熟練技術者の退職により、目視点検を担う人員が不足している。

その結果、点検頻度が低下し、施設の劣化を早期に把握できない。

そこで、点検記録をデジタル化し、過去の劣化履歴を一元管理する。

さらに、センサー情報と組み合わせて劣化傾向を分析する。

これにより、重点点検箇所を選定し、限られた人員を優先度の高い施設へ配置する。

ただし、デジタル化には、導入費用の増加と現場職員の教育負担が生じる。

このため、重要施設から段階的に導入し、操作研修と支援体制を整える。

ワトソン
「これなら、人材不足から解決策まで因果関係を追える」

ホームズ
「知識量はほとんど増えていない。違うのは、知識同士の関係が見えることだ」

答案では、専門用語の数よりも、論理のつながりが重要である。

試験委員は、受験者の頭の中を見ることができない。

書かれていない関係は、存在しないものとして読まれる。

受験者にとって当然の因果関係でも、文章上で示さなければ伝わらない。

第4章 課題と解決策を一本の線で結ぶ

技術士試験の答案では、課題と解決策の不一致が多い。

ワトソン
「課題を書き、解決策も書いているのに、不一致になるのか?」

ホームズ
「書いてあるだけで、対応していないからだ」

例えば、課題を「技術者不足に対応すること」とする。

その解決策として、「高耐久材料を採用する」「耐震補強を行う」「再生可能エネルギーを導入する」と書いても、技術者不足を直接解決していない。

それぞれの技術自体は正しい。

しかし、課題との関係が弱い。

技術者不足が課題なら、点検の省力化、業務の標準化、遠隔支援、技能継承、複数組織による人材共有などが対応する。

ホームズ
「鍵穴が人材不足なら、耐震補強という鍵を押し込んでも開かない」

課題の記述では、まず原因を明確にする。

何が不足しているのか。

なぜ不足しているのか。

その結果、どの機能が低下しているのか。

原因が明確になれば、それに対応する解決策を選びやすい。

解決策は、多く書けばよいわけではない。

課題の原因へ作用するものを選ぶ。

さらに、実施方法と効果まで示す。

何を導入するのか。

誰が実施するのか。

どのような手順で進めるのか。

何が改善するのか。

これらがつながることで、解決策は単なる技術用語から、実行可能な提案へ変わる。

第5章 技術士答案には「調整」が必要である

ワトソン
「課題に対応する解決策を書けば、十分ではないのか?」

ホームズ
「現実の技術問題に、一方的に良い解決策などほとんどない」

耐久性を高めれば、コストが増える。

安全性を高めれば、施工期間が延びる。

自動化を進めれば、生産性は向上するが、初期投資と教育負担が生じる。

標準化を進めれば、品質は安定するが、現場条件への柔軟性が低下することがある。

再生材料を利用すれば、環境負荷を低減できるが、品質管理が難しくなる場合がある。

これが、相反する要求事項である。

技術士に求められるのは、一方を選び、他方を無視することではない。

両者の要求を確認し、許容できる水準へ調整することである。

ワトソン
「例えば、どのように書けばよい?」

ホームズ
「自動化を全面導入すると初期投資が過大になる。そこで、作業負荷と事故リスクの高い工程から優先導入し、効果を評価して対象範囲を拡大する。これなら、生産性向上と経済性を調整している」

ワトソン
「単に『コストに配慮する』と書くより、具体的だ」

ホームズ
「『配慮する』『十分に検討する』『適切に実施する』という言葉だけでは、調整したことにならない。何を基準に、どこまで実施するかを書く必要がある」

知識のある技術者が不合格になる理由の一つは、最も優れた技術を提案すればよいと考えることである。

しかし、技術士試験では、技術的に優れた案だけでなく、実現性、安全性、経済性、関係者への影響を含めた合理性が問われる。

技術を知っていることと、技術を社会へ適用できることは異なる。

第6章 制限時間は敵ではなく、設計条件である

ワトソン
「考えるべきことが、ますます増えてきた。これを限られた時間で書くのは無理ではないか?」

ホームズ
「だからこそ、事前に思考の手順を身につけるのだ」

試験当日に、初めて論理を組み立てようとしても間に合わない。

必要なのは、答案そのものを暗記することではない。

考える順序を反復することである。

問題文から対象と条件を抜き出す。

設問ごとの要求を確認する。

観点を決める。

課題を具体化する。

最重要課題を選ぶ。

原因に対応する解決策を考える。

効果とリスクを確認する。

骨子を作ってから、文章を書く。

この手順を繰り返せば、テーマが変わっても対応できる。

ホームズ
「プロの演奏家は、一曲だけを暗記しているのではない。楽譜を読み、指を動かす訓練を積んでいる。受験者も同じだ」

また、時間内に書くには、捨てる判断も必要になる。

詳しく説明しすぎない。

同じ内容を繰り返さない。

問題文を長く言い換えない。

専門用語を並べない。

設問で求められていないことを書かない。

一文を短くする。

答案の完成度は、書き足すことだけでは上がらない。

不要なものを削り、必要な論理を見えやすくすることで上がる。

第7章 答案は、最初から上手に書けなくてよい

ワトソンは、暗記用に作ったノートを閉じた。

ワトソン
「しかし、自分で答案を書くと、最初はひどい文章になる。A評価答案との差を見れば、嫌になる人もいるだろう」

ホームズ
「初めて書いた答案が完成品である必要はない」

答案練習の目的は、自分の未熟さを証明することではない。

改善点を発見することである。

最初の答案で、課題が抽象的だった。

次の答案では、解決可能な表現に直す。

解決策が技術用語の列挙だった。

次は、実施方法と効果を書く。

最重要課題の理由が長すぎた。

次は、影響度と波及効果に絞る。

文章が時間内に終わらなかった。

次は、骨子作成と各設問の時間配分を決める。

この修正を繰り返す。

ホームズ
「失敗した答案は、捨てるべき答案ではない。次に直すべき場所を示した鑑定書だ」

ワトソン
「評価が低くても、原因が分かれば前進なのだね」

ホームズ
「むしろ、試験前に弱点が見つかったのなら幸運だ。本番まで直す時間が残されている」

合格者も、最初から合格答案を書けたわけではない。

多くの人が、設問を読み違え、時間を超過し、添削で厳しい指摘を受けている。

違いは、間違えなかったことではない。

指摘を次の答案へ反映したことである。

第8章 知識のある技術者には、すでに材料がある

ワトソン
「では、知識のある技術者が不合格になるのは、知識が無駄だからではないのだね」

ホームズ
「当然だ。知識と経験は、最大の資産だ。ただし、加工されていないだけだ」

現場で事故を防いだ経験。

顧客と仕様を調整した経験。

限られた予算で優先順位を決めた経験。

若手を指導した経験。

不具合の原因を分析した経験。

品質と納期の対立を調整した経験。

これらは、技術士試験で求められる問題解決、マネジメント、リーダーシップ、コミュニケーションにつながっている。

受験者は、ゼロから技術者になるのではない。

すでに実務で行っている判断を、答案上に見える形へ変えるのである。

ホームズ
「君たちは、答案を書くための経験がないのではない。経験を答案の言葉へ翻訳する方法を、まだ十分に身につけていないだけだ」

この違いは大きい。

能力がないのであれば、短期間で変えることは難しい。

しかし、持っている能力を整理し、表現する問題であれば、訓練によって改善できる。

問題文を読み、使う経験を選ぶ。

経験の背景、制約、判断、調整、結果を整理する。

それを設問に応じた言葉へ変える。

この訓練を重ねれば、知識と経験は答案の中でつながり始める。

エピローグ 不合格の証拠は、合格への手掛かりになる

ワトソン
「ようやく分かったよ、ホームズ。

知識のある技術者が不合格になるのは、知識が足りないからとは限らない。

問題文に応じて知識を選べない。

知識の点を因果関係でつなげられない。

課題と解決策が対応していない。

相反する要求事項を調整できていない。

そして、それらを時間内に文章へ変換できない。

そこに原因があるのだね」

ホームズ
「そのとおりだ」

ワトソン
「だが、それなら対策できる。問題文を読む。骨子を作る。答案を書く。添削を受ける。弱点を一つずつ直す。これを繰り返せばよい」

ホームズ
「君にしては、実に論理的な結論だ」

ホームズは、ワトソンが作ったA評価答案集を机へ戻した。

ホームズ
「この答案集を捨てる必要はない。ただし、文章を覚えるためではなく、思考の痕跡を調べるために使いたまえ」

ワトソン
「受験者に最後に伝えることはあるかい?」

ホームズは、しばらく答案を見つめてから答えた。

ホームズ
「知識があるのに書けないと悩んでいるなら、落胆する必要はない。材料はすでにある。必要なのは、材料を選び、組み立て、読み手に届く形へ整える技術だ」

暖炉の火が、机上の答案を照らしていた。

ホームズ
「技術士試験の難しさは、暗記では突破できない。しかし、訓練では突破できる。

昨日書けなかったことを、今日は骨子にする。
今日つながらなかった論理を、明日は一文でつなぐ。
その小さな修正の積み重ねが、やがて一枚の合格答案になる。

知識の点が線になる瞬間は、突然訪れるのではない。君が毎日、一本ずつ線を引いた結果として訪れるのだよ」

私(匠)は『日本シャーロック・ホームズ・クラブ』の正式会員です。
「日本シャーロック・ホームズ・クラブ(JSHC)」は、1977年に設立された日本最大級のシャーロック・ホームズ愛好家(シャーロキアン)の親睦団体です。全国に約700名の会員を擁し、専門的な研究からファンの交流まで幅広い活動を行っています。

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・入会のしやすさ: 論文の提出義務などはなく、ホームズを愛する気持ちがあれば誰でも気軽に参加できるウェルカムな雰囲気のクラブです。

この記事を書いた人

匠 習作

代表:匠 習作(たくみ しゅうさく・本名は菊地孝仁)
開講10年の歴史/総受講者数650名以上/web授業の先駆者

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