目次
問題文という事件現場から証拠を拾え
プロローグ:ワトソン、開始 1分で書き始める
坂戸市、ベイカー街221B。
机の上には、技術士試験の問題文と答案用紙が置かれていた。
ワトソン博士は、試験開始の合図を待つ受験生のように、万年筆を握りしめている。
ワトソン博士
「ホームズ、試験本番では時間がない。問題文を読んだら、すぐに書き始めるべきだろう。答案用紙は広い。迷っている暇はない」
シャーロック・ホームズ
「ワトソン君、それは事件現場に入った瞬間、床の足跡も、窓の鍵も、暖炉の灰も見ずに犯人の名前を書き始めるようなものだ」
ワトソン
「しかし、技術士試験は時間との勝負だ。最初の10分も使ったら、書く時間が減ってしまう」
ホームズ
「違う。最初の10分は、書く時間を減らす時間ではない。後の50分、100分を無駄にしないための時間だ」
ワトソン
「10分で合否の8割が決まる、というのは少し大げさではないか?」
ホームズ
「大げさではある。だが、嘘ではない。少なくとも、最初の10分で答案の方向性はほぼ決まる。問題文を読み違えた答案は、どれほど美しい文章でも事件の真相に届かない」
ワトソン
「問題文を読み違える……。たしかに、毎年何人かは引っ掛けに掛かるな」
ホームズ
「何人かではない。かなり多い。しかも、知識不足の受験生だけではない。よく勉強した受験生ほど、準備した論点を書きたくなる。すると、問題文の証拠を見落とす」
ワトソン
「証拠?」
ホームズ
「そうだ。問題文は事件現場である。そこには、出題者が残した証拠がある。対象、条件、制約、立場、設問要求、そして引っ掛けの痕跡だ。最初の10分でそれを拾えるかどうかが、答案の成否を左右する」
第1章:問題文は「読む」のではない。「観察」する
ワトソン
「問題文を読むことと、観察することは違うのか?」
ホームズ
「まったく違う。読むとは、文字を追うことだ。観察とは、意味のある情報を抜き出すことだ」
技術士試験の問題文には、多くの場合、次の情報が含まれている。
対象。
背景。
制約条件。
求められる立場。
設問の数。
答えるべき内容。
使ってよい視点、または外してはいけない視点。
これらを拾わずに書き始めると、答案はすぐにずれる。
ワトソン
「たとえば、どのようにずれる?」
ホームズ
「次のような問題文を考えよう」
【設問例】
老朽化が進む道路橋について、限られた予算と技術職員の不足を踏まえ、維持管理を効率的に進めるための課題を多面的な観点から3つ抽出し、それぞれの解決策を述べよ。
ワトソン
「よくありそうな問題だ」
ホームズ
「では、この問題文から証拠を拾ってみたまえ」
ワトソン
「老朽化、道路橋、予算不足、人手不足、維持管理、効率化、課題3つ、解決策……というところかな」
ホームズ
「悪くない。だが、まだ甘い。もっと精密に見る」
この問題文の証拠は、次のように整理できる。
対象は「道路橋」である。
背景は「老朽化が進む」ことである。
制約は「限られた予算」と「技術職員の不足」である。
目的は「維持管理を効率的に進める」ことである。
要求は「課題を多面的な観点から3つ抽出し、それぞれの解決策を述べよ」である。
ホームズ
「ここまで拾うと、答案の外してはいけない条件が見える」
ワトソン
「外してはいけない条件?」
ホームズ
「たとえば、この問題で『全橋梁を詳細点検し、全面更新を進める』と書いたらどうなる?」
ワトソン
「予算制約を無視している」
ホームズ
「そうだ。『専門技術者を大量採用する』と書いたら?」
ワトソン
「技術職員不足という条件に対し、現実性が弱い」
ホームズ
「その通り。問題文の条件は飾りではない。解決策の範囲を縛る制約である。制約を無視した解決策は、いくら立派でも減点される」
第2章:最初に見るべき 6つの証拠
ホームズ
「問題文を観察するときは、次の6つを拾うとよい」
第1に、対象。
第2に、立場。
第3に、制約条件。
第4に、設問要求。
第5に、数の指定。
第6に、引っ掛けの可能性。
ワトソン
「順番に説明してくれ」
ホームズ
「まず対象だ。道路橋なのか、下水道なのか、施工現場なのか、農業施設なのか。対象を外すと答案は終わる」
たとえば、道路橋の維持管理を問われているのに、道路ネットワーク全体の渋滞対策を書いてしまう。
上下水道の更新を問われているのに、一般的な防災まちづくりを書く。
生成AIの開発プロセスへの適用を問われているのに、社内規程の整備だけを書く。
これらは知識がないのではない。対象を見ていないのである。
ホームズ
「次に立場だ」
ワトソン
「立場とは、技術者としての立場か?」
ホームズ
「それだけではない。設計者なのか、施工管理者なのか、発注者なのか、管理者なのか、プロジェクト責任者なのかで書く内容は変わる」
【悪い例】
発注者として事業全体の優先順位を検討すべき問題であるにもかかわらず、施工現場の安全管理だけを書く。
【改善例】
発注者の立場では、施設の重要度、劣化状況、利用者への影響を踏まえて更新優先順位を設定する。その上で、施工段階では交通規制や住民影響を抑える工法を選定する。
ホームズ
「立場が見えれば、答案の高さが決まる。現場の細部を書くべきか、事業全体を俯瞰すべきかが分かる」
ワトソン
「次は制約条件だな」
ホームズ
「そうだ。制約条件は、出題者が用意した柵である。その中で解く必要がある」
制約条件には、予算、人員、工期、住民影響、環境影響、災害時の継続性、既存施設の供用、法令、地形、地域特性などがある。
【悪い例】
短期間で全施設を更新する。
【改善例】
全施設の同時更新は困難であるため、健全度、重要度、代替性を指標に優先順位を設定し、段階的に更新する。
ワトソン
「制約条件を踏まえるだけで、答案が現実的になるな」
ホームズ
「それが技術士らしさだ。夢物語ではなく、制約下で最適解を探す」
第3章:設問要求を見落とすと、答案は別事件になる
ワトソン
「設問要求とは、『課題を述べよ』『解決策を述べよ』の部分だな」
ホームズ
「そうだ。ここを見落とす答案が最も危険だ」
技術士試験では、似たようなテーマでも、問われ方によって答案は変わる。
「課題を抽出せよ」
「解決策を述べよ」
「業務手順を述べよ」
「留意点・工夫点を述べよ」
「リスクと対応策を述べよ」
「効果と新たな懸念事項を述べよ」
「技術者倫理を踏まえて述べよ」
これらは、すべて求めているものが違う。
ワトソン
「テーマが同じなら、似た内容を書けばよいのでは?」
ホームズ
「それが罠だ。たとえば、『老朽化対策』という同じテーマでも、問われ方によって答案の中心は変わる」
【設問A】
老朽化施設の維持管理における課題を3つ抽出せよ。
この場合、中心は課題設定である。
「何がボトルネックか」を示す必要がある。
【設問B】
老朽化施設の点検業務を実施する手順を述べよ。
この場合、中心は業務遂行手順である。
「事前準備、現地調査、診断、記録、報告」の流れが必要になる。
【設問C】
老朽化施設の更新を進める際のリスクと対応策を述べよ。
この場合、中心はリスクマネジメントである。
「更新工事による供用停止、住民影響、代替機能の確保、コスト増」などを事前に扱う必要がある。
ホームズ
「同じ知識を持っていても、設問要求に合わせて配置を変えなければならない」
ワトソン
「つまり、問題文はテーマを聞いているのではなく、処理方法を指定しているのだな」
ホームズ
「その通りだ。出題者は『老朽化について知っているか』だけを聞いているのではない。課題抽出ができるか、手順化できるか、リスクを予見できるか、倫理的判断ができるかを見ている」
第4章:「数の指定」は採点の枠である
ホームズ
「次に、数の指定だ」
ワトソン
「課題を3つ、留意点を2つ、という指定か」
ホームズ
「そうだ。これは採点の枠である。軽く見てはいけない」
たとえば、問題文が「課題を3つ抽出せよ」と求めているのに、2つしか書かない。
あるいは、3つ書いているように見えて、実際には同じ内容を言い換えているだけ。
これでは、設問要求を満たしていない。
【悪い例】
課題は、技術者不足、人材不足、担い手不足である。
ワトソン
「これは3つに見えるが、ほぼ同じだな」
ホームズ
「そうだ。数だけ合わせても意味がない。観点を分ける必要がある」
【改善例】
課題は次の3点である。
第1に、限られた人員でも点検品質を確保することである。
第2に、限られた予算の中で更新優先順位を明確化することである。
第3に、住民や利用者への影響を抑えながら工事を実施することである。
ホームズ
「これなら、人員、予算、社会影響という観点が分かれている」
ワトソン
「数の指定は、単に数を合わせるだけでは足りないのだな」
ホームズ
「そうだ。採点者は、3つの箱を用意して待っている。その箱に、同じ石を3つ入れても評価されない。異なる証拠を入れる必要がある」
第5章:最初に浮かんだ構成は、たいてい間違っていない
ワトソン
「ホームズ、ここで少し気になることがある。最初の10分で構成を決めると言うが、そんなに早く決めてよいのか?」
ホームズ
「決めてよい。ただし、無検証で飛びついてはいけない」
ワトソン
「どういうことだ?」
ホームズ
「チェスや将棋の名人を思い浮かべたまえ。彼らは長時間考えているように見える。だが、すべての手を一から順番に検討しているわけではない。最初に有力な数手が浮かび、それを何度も検証している」
ワトソン
「つまり、候補を無限に広げているのではなく、最初に浮かんだ候補を深く読むのか」
ホームズ
「そうだ。答案構成も同じである。問題文を正しく読めば、最初に浮かぶ構成が大きく外れていることは少ない。むしろ、迷いすぎて後から無理に変えた構成の方が崩れやすい」
ワトソン
「それは分かる。試験中に途中で構成を変えると、前半と後半がつながらなくなる」
ホームズ
「その通りだ。だから最初の10分で行うべきは、構成を無限に考えることではない。最初に浮かんだ構成が、問題文の証拠と矛盾していないかを検証することだ」
たとえば、問題文を読んで次の構成が浮かんだとする。
課題1:点検品質の確保
課題2:更新優先順位の明確化
課題3:住民影響の抑制
この構成が妥当かどうかを、問題文に戻って確認する。
対象は道路橋か。
老朽化に対応しているか。
予算制約に対応しているか。
技術職員不足に対応しているか。
多面的な観点になっているか。
解決策につなげられるか。
すべて満たしていれば、その構成でよい。
ホームズ
「名人は、最初の直感を捨てない。ただし、必ず検証する」
ワトソン
「直感と検証の組み合わせか」
ホームズ
「そうだ。技術士試験の答案も同じだ。最初の直感を、問題文という証拠で裏付ける。それが最初の10分の使い方だ」
前編のまとめ:問題文は事件現場である
ワトソン
「前編で分かったことは、問題文を読むだけでは足りないということだな」
ホームズ
「そうだ。問題文は事件現場である。そこには、出題者が残した証拠がある」
最初に拾うべき証拠は、次の6つである。
対象。
立場。
制約条件。
設問要求。
数の指定。
引っ掛けの可能性。
これらを拾えば、答案の方向性はかなり見える。
逆に、これらを拾わずに書き始めると、知識があっても答案はずれる。
ワトソン
「10分は、書き始めを遅らせる時間ではないのだな」
ホームズ
「そうだ。最初の10分は、答案を事件の真相へ向かわせる時間だ」
ワトソン
「では後編では、何を扱う?」
ホームズ
「引っ掛け問題の見抜き方と、答案構成の決め方だ。毎年、何人かは問題文の罠に掛かる。彼らは知識がなかったのではない。証拠を見落としたのだ」
ワトソン
「恐ろしいな」
ホームズ
「恐れる必要はない。罠には痕跡がある。観察すれば、見抜ける」
(後編へ続く)

私(匠)は『日本シャーロック・ホームズ・クラブ』の正式会員です。
「日本シャーロック・ホームズ・クラブ(JSHC)」は、1977年に設立された日本最大級のシャーロック・ホームズ愛好家(シャーロキアン)の親睦団体です。全国に約700名の会員を擁し、専門的な研究からファンの交流まで幅広い活動を行っています。
【主な活動と特徴】
・イベントの開催: 毎年春と秋の「全国大会」のほか、東京や軽井沢でのセミナー、月例会などを開催しています。
・出版物の発行: 機関誌『ホームズの世界』や研究書の出版、関連事典の制作協力などを行っています。
・入会のしやすさ: 論文の提出義務などはなく、ホームズを愛する気持ちがあれば誰でも気軽に参加できるウェルカムな雰囲気のクラブです。






