目次
新しい知識を追うな、答案の崩れ方を直せ
プロローグ:試験直前、ワトソンは本棚に埋もれていた
坂戸市 ベイカー街221B。
七月の試験を目前にしたある朝、ワトソン博士は机の上に資料を積み上げていた。
国土交通白書。
環境白書。
防災白書。
生成AIのガイドライン。
インフラメンテナンスの最新資料。
カーボンニュートラル、国土強靱化、グリーンインフラ、DX、BIM/CIM、サーキュラーエコノミー。
机の上は、もはや学習机ではない。小さな政策資料の山脈であった。
ワトソン博士
「ホームズ、試験まで残り1か月だ。ここからが勝負だろう。まだ知らないキーワードが山ほどある。今のうちに全部拾っておかないと、本番で出たときに困るじゃないか」
シャーロック・ホームズ
「ワトソン君、君はいま、合格に近づいているのではない。合格から遠ざかっている」
ワトソン
「なに? 勉強しているのに?」
ホームズ
「そうだ。直前期に最も危険なのは、勉強しているつもりで答案を壊すことだ。新しい知識を増やすほど、答案の軸がぶれる。問題文を読まずに覚えた知識を吐き出す。課題は抽象化し、解決策は一般論になり、リスクは事故後対応になり、倫理は最後の飾りになる」
ワトソン
「しかし、知識がなければ書けないだろう」
ホームズ
「もちろん知識は必要だ。だが、試験直前の1か月で合否を分けるのは、知識量そのものではない。持っている知識を、問題文に合わせて答案へ変換できるかだ。技術士試験は、知識の収集競争ではない。設問に対して、技術者として妥当な判断を示す試験である」
ワトソン
「では、残り1か月で何をすればいい?」
ホームズ
「新しい知識を追うな。答案の崩れ方を直せ」
第1章:直前期にやってはいけない勉強
ホームズ
「まず、直前期に受験生を破滅させる勉強を整理しよう」
ワトソン
「破滅とは大げさだな」
ホームズ
「大げさではない。毎年、十分な知識を持ちながら不合格になる受験生がいる。原因は、知識不足ではなく、答案の崩壊だ」
直前期にやってはいけない勉強は、主に次の5つである。
第1に、新しい政策テーマを無制限に追うこと。
第2に、想定問題を増やしすぎること。
第3に、専門用語の暗記で安心すること。
第4に、完璧な模範答案を作ろうとすること。
第5に、添削の指摘を全部直そうとして、自分の答案の軸を失うこと。
ワトソン
「しかし、出題範囲は広い。新しいテーマを追わないと不安になる」
ホームズ
「その不安は分かる。だが、直前期に知識を増やしすぎると、答案はむしろ浅くなる。なぜなら、覚えた言葉を使いたくなるからだ」
たとえば、次のような答案である。
【悪い例】
建設分野では、DX、BIM/CIM、AI、IoT、ドローン、デジタルツインを活用し、生産性向上と高度化を図ることが重要である。
ワトソン
「これはよく見るな。いろいろ知っている感じはする」
ホームズ
「知っている感じはする。だが、技術士の答案としては弱い。何の問題に対し、どの技術を、どの業務プロセスに適用し、どの制約を解くのかが見えない」
【改善例】
老朽化橋梁の点検では、損傷情報が紙資料や個人の経験に分散し、更新優先順位を客観的に判断しにくいことが課題である。そこで、点検結果をデジタル台帳に集約し、損傷程度、交通量、迂回路の有無を指標化して優先順位を設定する。これにより、限られた予算と人員の中で、リスクの高い橋梁から補修を進める。
ホームズ
「こちらは使っている知識の数は少ない。しかし、問題、制約、解決策、効果がつながっている。直前期に必要なのは、この変換力だ」
ワトソン
「つまり、知識を増やすより、知識を答案に落とす訓練か」
ホームズ
「その通りだ」
第2章:答案の崩れ方 1 問題文の要求に答えていない
ホームズ
「最初の崩れ方は、最も単純で、最も致命的だ。問題文の要求に答えていない」
ワトソン
「そんな初歩的なミスをするものか?」
ホームズ
「する。しかも、真面目な受験生ほどする」
問題文が「課題を抽出せよ」と求めているのに、背景説明を長々と書く。
「解決策を述べよ」と問われているのに、必要性ばかり説明する。
「留意点・工夫点を述べよ」と問われているのに、業務手順だけで終わる。
「新たに生じうるリスクと対策を述べよ」と問われているのに、事故が起きた後の対応を書く。
これは、知識がないからではない。問題文を読まず、自分が書きたいことを書いているからである。
ワトソン
「たとえば、どんな答案だ?」
ホームズ
「次の例を見たまえ」
【設問例】
老朽化した道路橋の維持管理について、多面的な観点から課題を3つ抽出せよ。
【悪い例】
道路橋は高度経済成長期に多く整備され、今後一斉に老朽化が進む。地方自治体では技術職員が不足し、維持管理費も限られている。そのため、橋梁の点検、診断、補修を計画的に進めることが重要である。
ワトソン
「一見、悪くないように見えるが」
ホームズ
「背景説明としては悪くない。しかし、設問は『課題を3つ抽出せよ』である。この答案は、課題を明確に3つ示していない。試験委員は、どこを採点すればよいのか迷う」
【改善例】
課題は次の3点である。
第1に、限られた予算の中で更新優先順位を明確化することである。理由は、全橋梁を同時に補修・更新することは困難であり、損傷度や重要度に応じた選択が必要だからである。
第2に、点検・診断の品質を平準化することである。理由は、自治体間で技術職員数や経験に差があり、診断結果のばらつきが維持管理計画に影響するためである。
第3に、点検結果を維持管理計画へ確実に反映することである。理由は、点検結果が蓄積されても、補修時期や予算要求に結び付かなければ老朽化対策が進まないためである。
ホームズ
「この改善例は、設問に正面から答えている。課題を3つ示し、それぞれ理由を付けている。試験委員は採点しやすい」
ワトソン
「答案は、試験委員に探させてはいけないのだな」
ホームズ
「そうだ。試験委員に『この受験者は何を答えているのか』と探させた時点で、答案は弱い」
第3章:答案の崩れ方 2 観点が2つになっている
ワトソン
「次の崩れ方は何だ?」
ホームズ
「観点が2つになっていることだ」
ワトソン
「観点は多面的に示すべきではないのか?」
ホームズ
「多面的に示すことと、1つの観点の中に別の観点を混ぜることは違う」
たとえば、次のような記述である。
【悪い例】
人材育成・人材取得の観点から、技術者不足への対応が課題である。
一見、まとまっているように見える。
しかし、「人材育成」と「人材取得」は性質が異なる。
人材育成は、既存職員の能力を高める話である。
人材取得は、外部から人を確保する話である。
前者は教育、OJT、資格取得支援、技能伝承が中心になる。
後者は採用、外部委託、官民連携、広域連携が中心になる。
ホームズ
「この2つを1つの観点にまとめると、解決策もぼやける」
ワトソン
「たしかに、育てるのか、採るのかが曖昧になる」
ホームズ
「その結果、答案はこうなる」
【悪い例】
技術者不足に対しては、人材育成と人材取得を進める。具体的には、研修を実施し、必要に応じて外部人材を活用する。
ワトソン
「何となく正しいが、浅いな」
ホームズ
「そうだ。設問が求める『観点』とは、答案を整理するための切り口である。切り口が混ざれば、論理も混ざる」
【改善例1:人材育成の観点】
人材育成の観点では、若手職員が点検・診断結果を判断できる技術力を習得することが課題である。理由は、老朽化施設の増加に対し、経験豊富な職員の退職が進み、診断の品質が低下するおそれがあるためである。解決策として、ベテラン職員の判断根拠を点検記録に残し、若手職員が現地確認、診断会議、補修方針の検討に参加するOJTを実施する。
【改善例2:人材確保の観点】
人材確保の観点では、自治体単独では不足する専門技術者を外部から補完する体制の構築が課題である。理由は、小規模自治体では橋梁、河川、上下水道など複数分野を少人数で担当しており、専門的判断を継続的に行うことが難しいためである。解決策として、近隣自治体との共同発注、民間技術者の包括委託、都道府県による技術支援を組み合わせる。
ホームズ
「このように分ければ、課題も解決策も明確になる」
ワトソン
「観点は、言葉の飾りではなく、答案の骨格なのだな」
ホームズ
「その通りだ」
第4章:答案の崩れ方 3 課題が抽象的すぎる
ホームズ
「3つ目の崩れ方は、課題が抽象的すぎることだ」
ワトソン
「たとえば?」
ホームズ
「『効率化することが課題である』だ」
ワトソン
「これはよく見る。なぜ悪い?」
ホームズ
「効率化は方向性であって、課題ではないからだ。課題とは、解決すべき具体的な技術的ボトルネックである」
【悪い例】
インフラ老朽化に対応するため、維持管理を効率化することが課題である。
この文は間違いではない。
しかし、技術士試験の答案としては弱い。
何を効率化するのか。
点検か。診断か。補修設計か。発注か。住民説明か。
なぜ効率化が必要なのか。
人手不足か。予算制約か。施設数の増加か。災害対応との両立か。
これらが見えない。
【改善例】
維持管理記録を施設台帳と連携させ、補修優先順位を判断できる仕組みを構築することが課題である。理由は、点検結果が紙資料や担当者の経験に依存していると、劣化傾向の把握や予算要求の根拠づけが困難になるためである。
ホームズ
「こちらは『効率化』という抽象語を使わず、何をどう改善するかを示している」
ワトソン
「たしかに、試験委員が読んだとき、技術的な対象が見える」
ホームズ
「課題を書くときは、次の型を使うとよい」
課題は、
〇〇を△△できる仕組みを構築することである。
〇〇を□□する能力を高めることである。
〇〇の優先順位を明確化することである。
理由は、
現状では△△に限界があるためである。
□□の制約により、従来方法では対応できないためである。
ワトソン
「つまり、課題は『方向性』ではなく『解ける形』にするのか」
ホームズ
「そうだ。課題が抽象的なままだと、解決策も一般論になる。課題の粒度で、答案の勝負は半分決まる」
第5章:答案の崩れ方 4 技術的課題になっていない
ワトソン
「次は、技術的課題ではない、という崩れ方だな」
ホームズ
「その通りだ。技術士試験では、社会的・経済的な背景を踏まえることは重要だ。しかし、課題そのものは、技術者として解決可能な粒度に落とす必要がある」
【悪い例】
建設業の担い手不足を解消するため、給料など待遇改善が課題である。
ワトソン
「これは現実には重要ではないか?」
ホームズ
「重要だ。だが、技術士の筆記答案で中心課題に据えるには危うい。給与水準や労働条件の改善は、経営・制度・労務政策の問題であり、技術者が答案内で具体的に解決しにくい」
ワトソン
「では、書いてはいけないのか?」
ホームズ
「背景として触れるのはよい。しかし、課題としては技術的に扱える形に変換すべきだ」
【改善例】
建設業の担い手不足に対応するため、少人数でも施工管理の品質を確保できる生産体制を構築することが課題である。理由は、熟練技術者の減少により、従来の経験依存型の現場管理では品質、工程、安全のばらつきが大きくなるためである。解決策として、ICT施工、遠隔臨場、施工記録のデジタル化を組み合わせ、出来形、品質、安全情報を関係者で共有する。
ホームズ
「こちらは、担い手不足という社会問題を、施工管理体制という技術的課題に変換している」
ワトソン
「なるほど。給料を上げる話から、少人数でも品質を確保する仕組みの話に変えるのだな」
ホームズ
「その通り。技術士は政治評論家でも労務担当者でもない。社会的背景を踏まえつつ、技術者として解決できる課題を設定する必要がある」
前編のまとめ:新しい知識より、答案の骨格を直せ
ワトソン
「前編だけでも、耳が痛い話ばかりだった」
ホームズ
「耳が痛いなら、まだ間に合う証拠だ。直前期に直すべきは、知識不足ではなく答案の崩れ方である」
前編で扱った崩れ方は4つである。
第1に、問題文の要求に答えていない。
第2に、観点が2つになっている。
第3に、課題が抽象的である。
第4に、技術的課題になっていない。
これらは、いずれも知識を増やしても直らない。
むしろ、知識を増やすほど悪化することがある。
なぜなら、覚えた言葉を使いたくなるからだ。
出題者の問いではなく、自分が準備した論点を書きたくなるからだ。
ホームズ
「ワトソン君、試験直前の受験生に必要なのは、新しい地図ではない。すでに持っている地図を、正しく読める目だ」
ワトソン
「では、後編では何を扱う?」
ホームズ
「解決策、リスク、評価、倫理だ。ここで答案はさらに崩れる。特に『リスク』と『倫理』は、最後に書く場所ではない。答案全体の思想を決めるものだ」
ワトソン
「少し怖くなってきた」
ホームズ
「心配はいらない。崩れ方が分かれば、直し方も分かる。後編では、答案を合格ラインへ戻すための最後の手当てを行おう」
(後編へ続く)

私(匠)は『日本シャーロック・ホームズ・クラブ』の正式会員です。
「日本シャーロック・ホームズ・クラブ(JSHC)」は、1977年に設立された日本最大級のシャーロック・ホームズ愛好家(シャーロキアン)の親睦団体です。全国に約700名の会員を擁し、専門的な研究からファンの交流まで幅広い活動を行っています。
【主な活動と特徴】
・イベントの開催: 毎年春と秋の「全国大会」のほか、東京や軽井沢でのセミナー、月例会などを開催しています。
・出版物の発行: 機関誌『ホームズの世界』や研究書の出版、関連事典の制作協力などを行っています。
・入会のしやすさ: 論文の提出義務などはなく、ホームズを愛する気持ちがあれば誰でも気軽に参加できるウェルカムな雰囲気のクラブです。







