プロローグ 8か月あれば合格できるのか~坂戸市ベーカー街221B
テーブルの上には、十一月から翌年七月までのカレンダーが広げられていた。
ワトソン博士
「前編で、技術士になるまでの仕組みは分かった。次は試験対策だね。多くの受験者は、試験前年の十一月頃から勉強を始める。試験日は七月の海の日だから、準備期間はおよそ八か月だ」
シャーロック・ホームズ
「八か月。それを長いと見るか、短いと見るかだ」
ワトソン
「私は十分に長いと思うが」
ホームズ
「受験者が学生なら、その見方もできる。しかし、技術士第二次試験の受験者の多くは社会人だ。しかも、三十代から四十代を中心とした、職場の第一線で働く技術者である。仕事を終えて帰宅し、家事や育児を済ませ、その後に答案を書く。八か月あっても、自由に使える時間は多くない」
ワトソン
「確かに、毎日二時間、三時間と勉強するのは難しいね」
ホームズ
「だから、技術士試験では、勉強時間の長さよりも、八か月をどう設計するかが重要になる。行き当たりばったりでは続かない。最初から、何を、いつまでに、どの水準まで仕上げるかを決める必要がある」

第一章 技術士試験は「知識試験」ではない
ワトソン
「まずは過去問題を解き、優れた答案を暗記すればよいのではないか?」
ホームズ
「それが、最初に捨てるべき発想だよ」
ワトソン
「なぜだい? 試験対策では、過去問題の分析が基本だろう」
ホームズ
「過去問題の分析は必要だ。しかし、答案の丸暗記は別物だ。技術士第二次試験では、過去と全く同じ問題が出るわけではない。社会状況、技術動向、制度、問題の条件が変わる。暗記した答案は、条件が少し変わっただけで使えなくなる」
技術士第二次試験は、午前も午後も論文試験である。
受験者は、頭の中にある専門知識、実務経験、社会的背景、技術者倫理、マネジメントの考え方を組み合わせ、設問に応じて文章を構成しなければならない。
知識は、頭の中に点として存在している。
しかし、試験で求められるのは、その点を結び、因果関係のある線にすることである。さらに、その線を第三者が読んで理解できる文章にしなければならない。
ホームズ
「例えば、『人口減少』『インフラ老朽化』『人材不足』『DX』『予防保全』という言葉を知っているだけでは答案にならない」
ワトソン
「それらを並べても駄目なのか?」
ホームズ
「駄目だ。単なる単語の陳列だからね。必要なのは、論理の接続だ」
人口減少により、料金収入や税収が減少する。
その結果、更新投資に使える財源が不足する。
一方で、施設の老朽化は進行する。
さらに、維持管理を担う技術者も減少する。
したがって、限られた人員と予算の中で、施設の重要度と劣化状況に応じた更新の優先順位を決める必要がある。
そのため、点検データを一元化し、劣化予測に基づく予防保全へ移行する。
ホームズ
「これで初めて、点が線になる」
ワトソン
「知識量ではなく、知識同士の関係を説明する力が必要なのだね」
ホームズ
「そのとおりだ。技術士試験が難しい理由は、知っているかどうかではない。知識を選び、つなぎ、設問に合わせて再構成できるかを問うからだ」

第二章 11月から12月――最初に答案を書いてはいけない
ワトソン
「では、十一月から早速、毎週一本ずつ答案を書けばよいのか?」
ホームズ
「それも早すぎる。構造を理解しないまま答案を書けば、誤った書き方を反復することになる」
十一月から十二月に行うべきことは、試験の全体像を把握することである。
まず、受験する技術部門と選択科目の出題形式を確認する。
次に、必須科目Ⅰ、選択科目Ⅱ-1、Ⅱ-2、Ⅲについて、それぞれ何を問う問題なのかを区別する。
必須科目Ⅰと選択科目Ⅲでは、複合的な問題を把握し、多面的に課題を抽出し、解決策を示す力が問われる。
Ⅱ-1では、限られた字数で専門知識を正確に説明する力が問われる。
Ⅱ-2では、実務経験に基づき、業務の手順、留意点、工夫、関係者との調整を具体的に示す力が問われる。
ホームズ
「問題ごとに問われる能力が違う。それなのに、すべて同じ書き方で対応しようとする受験者が多い」
ワトソン
「確かに、どの問題でも『課題を三つ挙げて解決策を書く』と思い込んでいる人がいるね」
ホームズ
「それでは設問に適合しない。十一月と十二月は、答案を書く前に、問題の型を見抜く訓練を行うべきだ」
この時期には、過去問題を年度ごとに分類する。
何を問うているのか。
どのコンピテンシーを確認しているのか。
設問ごとに何を書くべきか。
何を書いてはいけないか。
これらを整理する。
同時に、自分の専門分野について、頻出テーマを抽出する。
老朽化、人材不足、災害、脱炭素、DX、生産性向上、品質確保、安全、環境負荷、事業継続などである。
ただし、この段階で模範答案を丸暗記してはならない。
必要なのは、テーマごとの背景、課題、原因、解決策、効果、リスクを整理することである。
第三章 一月から二月――知識を「部品」に変える
ワトソン
「知識を増やす時期だね」
ホームズ
「正確には、知識を答案に使える部品へ変える時期だ」
参考書や白書を読んでも、そのままでは答案には使えない。
試験で必要なのは、限られた時間で取り出せる知識である。
そのため、テーマごとに次の形で整理する。
背景は何か。
何が問題なのか。
なぜ問題が生じているのか。
どのような制約があるのか。
誰が関係するのか。
どの要求が対立するのか。
どのような解決策があるのか。
実施後にどのようなリスクが生じるのか。
ワトソン
「知識カードを作るようなものか」
ホームズ
「そうだ。ただし、単語帳ではない。因果関係を記録するのだ」
例えば、「点検のデジタル化」とだけ覚えても不十分である。
人員不足により点検頻度が低下する。
点検結果が紙で保存され、過去データとの比較が難しい。
そこで、タブレットを用いて点検結果を現場で入力する。
データを一元管理し、劣化傾向を可視化する。
その結果、重点点検箇所を選定できる。
一方で、通信障害、入力ミス、情報漏えいが新たなリスクになる。
ここまで整理すれば、複数の問題に応用できる。
ホームズ
「丸暗記するのは答案ではない。使い回せる論理の部品だ」
第四章 三月から四月――答案の骨格を作る
三月からは、本格的に答案を書く。
ただし、最初から制限時間内に全文を書く必要はない。
まず行うのは、問題文の読解と骨子作成である。
ホームズ
「答案の成否は、書き始める前にほぼ決まる」
問題文から、対象、条件、立場、要求事項、設問数を拾う。
次に、各設問に何を書くかを箇条書きにする。
例えば、課題を三つ求められた場合は、単に思いついたものを並べない。
異なる観点から抽出する。
安全性の観点。
経済性の観点。
人材・組織の観点。
その上で、それぞれを解決可能な課題へ具体化する。
ここで注意すべきなのは、観点と課題を混同しないことである。
「安全性」は観点であり、それ自体は解決できない。
「設備故障時の代替手段を確保すること」は課題であり、具体的な解決策を示すことができる。
ワトソン
「課題を抽出した後は、最重要課題を選ぶのだね」
ホームズ
「その際も、単に『重要だから』では足りない。影響度、緊急性、実現可能性、波及効果などから選定理由を示す必要がある」
三月は、時間をかけて構成を作る。
四月は、同じ構成を短時間で作る練習へ移行する。
最初は一問に六十分かかってもよい。
次に四十分。
最終的には、試験本番で確保できる時間まで短縮する。
文章力は、全文を書くことだけでは伸びない。
設問を読み、論点を決め、構造を作る。この反復が重要である。
第五章 五月から六月――添削で自分の癖を知る
ワトソン
「この頃になると、自分ではかなり書けるようになったと感じるだろうね」
ホームズ
「そこが危険だ。自分の答案の欠点は、自分では見えにくい」
技術士試験の答案は、書いた本人が理解できればよいのではない。
初めて読む試験委員が、短時間で論理を追える必要がある。
そのため、第三者による確認が有効である。
設問に答えているか。
課題と解決策が対応しているか。
専門技術が具体的か。
因果関係が飛んでいないか。
主語と述語が対応しているか。
一文が長すぎないか。
同じ内容を繰り返していないか。
トレードオフとその調整が書かれているか。
これらを確認する。
ホームズ
「添削の目的は、きれいな完成答案を一つ作ることではない。自分が繰り返す誤りを特定することだ」
ある受験者は、背景説明が長すぎる。
ある受験者は、専門用語を並べるが、効果を書かない。
ある受験者は、解決策を多く書くが、実施主体や手順を書かない。
また、ある受験者は、設問で求められていない内容まで書き、必要な内容を書くスペースを失う。
自分の癖が分かれば、試験直前に確認すべき項目も決まる。
五月から六月は、答案の本数を増やす時期ではない。
一つの答案から、再発しやすい欠点を減らす時期である。
第六章 七月――新しい知識を増やさない
試験直前になると、不安から新しい資料を集めたくなる。
ワトソン
「知らないテーマが出たら困るからね」
ホームズ
「だが、直前期に知識を広げすぎると、既に持っている知識の整理が崩れる」
七月に行うべきことは、新しい答案を大量に作ることではない。
これまで整理した論点を見直す。
頻出テーマの因果関係を確認する。
過去に添削を受けた答案を読み返す。
自分の誤りを一覧にする。
そして、本番と同じ時間帯に、時間を計って答案を書く。
技術士試験では、知識だけでなく、手書きの持久力も必要である。
頭では書けると思っていても、長時間書き続けると、文字が乱れ、文章が短絡的になり、見直しの時間がなくなる。
したがって、七月には本番を想定した演習が欠かせない。
第七章 モチベーションに頼ってはいけない
ワトソン
「しかし、八か月も勉強を続けるのは難しい。仕事が忙しい日もある。疲れて何もしたくない日もある。どうやってモチベーションを維持すればよいのだろう」
ホームズ
「その問いの前提が誤っている。モチベーションを維持しようとしてはいけない」
ワトソン
「どういう意味だ?」
ホームズ
「意欲は変動する。仕事で失敗した日、残業が続いた日、体調が悪い日まで、常に高い意欲を保つことはできない。変動する感情を、八か月間の計画の土台にしてはいけない」
必要なのは、やる気ではなく仕組みである。
平日は三十分だけ取り組む。
通勤時間は資料を読む。
昼休みは問題文だけ読む。
休日は答案を書く。
疲れている日は、過去答案を一枚読むだけにする。
勉強の最低単位を小さくする。
「今日は二時間できないから、何もしない」ではなく、「十分だけ骨子を作る」と決める。
ホームズ
「ゼロの日を減らすことだ。八か月間、毎日全力で走る必要はない。しかし、完全に試験から離れる日が続けば、再開するために大きな力が必要になる」
進捗を見えるようにすることも有効である。
答案を書いた回数ではなく、できるようになったことを記録する。
課題と観点を区別できるようになった。
三十分で骨子を作れるようになった。
解決策に実施主体を書けるようになった。
トレードオフを書けるようになった。
成長が見えれば、勉強を続ける理由になる。
また、受験仲間や講師との約束も有効である。
一人では先延ばしにする課題でも、提出日があれば取り組みやすい。
ホームズ
「人は、強いから継続できるのではない。継続しやすい環境を作った者が、結果として強くなる」
第八章 A評価答案から学ぶべきもの
ワトソン
「それでも、A評価答案は参考になるだろう?」
ホームズ
「もちろんだ。ただし、文章を覚えるのではない。思考の順序を観察する」
なぜ、その課題を挙げたのか。
なぜ、それを最重要としたのか。
解決策は、課題の原因に対応しているか。
専門技術は、どのような効果を生むのか。
関係者の利害対立を、どのように調整しているか。
実施後の新たなリスクを、どのように管理しているか。
A評価答案から学ぶべきなのは、答えではない。
設問に対し、どのように知識を選択し、論理を組み立てたかである。
ホームズ
「優れた答案を写しても、その人の思考までは写せない。だが、構造を分析すれば、自分の思考に取り込むことができる」
エピローグ 合格への道は、答案を書く前に始まっている
ワトソン
「八か月の流れが見えてきたよ。
十一月と十二月は、試験の構造と過去問題を分析する。
一月と二月は、知識を答案に使える部品に変える。
三月と四月は、骨子と答案を作る。
五月と六月は、添削によって自分の欠点を修正する。
七月は、本番形式の演習と最終確認を行う。
そして、モチベーションに頼らず、続けられる仕組みを作る」
ホームズ
「そのとおりだ」
ワトソン
「技術士試験は、知識を暗記する試験ではない。知識と経験を結び、設問に応じた論理へ変換する試験なのだね」
ホームズ
「それが本質だ。技術者は、現場で過去と全く同じ問題に出会うわけではない。条件の異なる問題に対し、持っている知識と経験を組み合わせ、合理的な解決策を示す。試験も同じ能力を見ている」
ホームズは、十一月から七月までのカレンダーを折り畳んだ。
ホームズ
「八か月は、模範答案を記憶するための期間ではない。自分の頭で考え、その考えを他者に伝えられる技術者になるための期間だ」
ワトソン
「では、合格するために最も大切なことは何だい?」
ホームズ
「毎日やる気を出すことではない。今日できる最小の一歩を、明日も繰り返すことだよ。答案の論理も、合格までの道も、点を一つずつ線につなぐところから始まるのだからね」

私(匠)は『日本シャーロック・ホームズ・クラブ』の正式会員です。
「日本シャーロック・ホームズ・クラブ(JSHC)」は、1977年に設立された日本最大級のシャーロック・ホームズ愛好家(シャーロキアン)の親睦団体です。全国に約700名の会員を擁し、専門的な研究からファンの交流まで幅広い活動を行っています。
【主な活動と特徴】
・イベントの開催: 毎年春と秋の「全国大会」のほか、東京や軽井沢でのセミナー、月例会などを開催しています。
・出版物の発行: 機関誌『ホームズの世界』や研究書の出版、関連事典の制作協力などを行っています。
・入会のしやすさ: 論文の提出義務などはなく、ホームズを愛する気持ちがあれば誰でも気軽に参加できるウェルカムな雰囲気のクラブです。




