―数字だけでは見えてこない「技術士 難易度」の正体
第一章 坂戸市ベイカー街221Bに届いた「10%」という数字
九月の朝、坂戸市ベイカー街221Bの食卓には、一枚の統計表が置かれていた。

もちろん、坂戸市にベイカー街221Bなどという住所は存在しない。だがホームズは、その程度の矛盾なら事件性なし、とでも考えているらしい。
私はコーヒーを飲みながら、表の数字を何度も見直していた。
ワトソン博士
「ホームズ。これは相当な難関だな」
窓辺に立っていたホームズが、わずかに振り返った。
シャーロック・ホームズ
「何の話だい?」
「技術士第二次試験だよ。合格率が約10%しかない。十人受けて一人だ。これを難関と言わずして何と言うんだ?」
ホームズは私から統計表を受け取ると、数秒眺めてテーブルへ戻した。
ホームズ
「数字は合っている。しかし、君の推理は雑だ」
「またそれか」
「合格率が10%であることと、君が受験したときの合格可能性が10%であることを、同じものとして扱っている」
私は言い返そうとして、やめた。
確かに同じなのだろうか。
技術士試験の難易度を考えるとき、多くの人が最初に目にするのが「合格率約10%」という数字である。
だが事件現場に数字が一つ落ちていたからといって、それだけで犯人は決められない。
ホームズなら、まずその数字が何を意味するのかを調べる。
第二章 「技術士試験の合格率は約10%」は本当か
まず、事実から確認しておこう。
令和7年度の技術士第二次試験では、全21部門の受験者24,135人に対して合格者は2,752人。受験者に対する合格率は**11.4%**だった。
ただし、この中には総合技術監理部門が含まれている。
総合技術監理部門は受験者2,575人、合格者584人で、合格率22.7%だった。これを除いた20技術部門で計算すると、受験者21,560人に対して合格者2,168人、**合格率は約10.1%**となる。
令和6年度も、全体では10.4%、総合技術監理部門を除けば9.8%だった。令和元年度以降を見ても、おおむね10%前後から10%台前半で推移している。
したがって、
「技術士第二次試験の合格率は約10%」
という説明は、とくに一般の20技術部門について考えるなら、大きく外れてはいない。
ワトソン
「それなら私の言った通りじゃないか。十人に一人だ」
ホームズ
「十人に一人が合格した。それは事実だ。だが“誰が受験しても十回に一回しか受からない”とは書かれていない」
数字は同じでも、意味は違う。
ここからが推理になる。
第三章 十人の受験者は、本当に同じ十人なのか
仮に十人の受験者がいるとしよう。
一人は半年以上、過去問を分析している。
別の一人は試験直前になって初めて論文を書いた。
毎週答案を書いて添削を受けてきた人もいる。
専門知識は豊富だが、問題文をほとんど研究していない人もいる。
制限時間内で何度も答案を書いた人。
模範解答を読むだけで本番を迎えた人。
統計上は、全員同じ「受験者一人」である。
しかし、合格へ向けた準備状態は同じではない。
ホームズはテーブルの上に十枚のコインを並べた。
ホームズ
「この十枚から一枚を無作為に選ぶなら、選ばれる確率は10%だ」
「当然だ」
「では十人の射手が一回ずつ矢を放ち、一人だけ中心に当てたとしよう。その結果を見て、君が矢を放ったときに中心へ当たる確率も10%だと言えるかい?」
「腕前が違うなら言えない」
「ようやく話が進んだ」
技術士試験の合格率は、試験全体の結果を示す数字だ。
個々の受験者へ、抽選のように10%の当たりが割り振られているわけではない。
だから、
「合格率10%だから、自分が合格できる可能性も10%しかない」
と考えるのは、統計から一歩踏み出し過ぎている。
第四章 それでも技術士試験はなぜ難しいのか
では、技術士試験の難易度は高くないのか。
そうではない。
むしろ問題は、何が難しいのか分かりにくいことにある。
知識型の資格試験なら、学習方法は比較的想像しやすい。
覚える。
問題を解く。
間違えたところを覚え直す。
正答率が上がれば、実力が伸びていることも確認しやすい。
技術士第二次試験は様子が違う。
問題文を読む。
条件を把握する。
観点を設定する。
課題を抽出する。
最重要課題を選ぶ。
専門技術を用いて解決策を示す。
さらに、新たなリスクや対応まで論理的につなげる。
知識は必要だ。
しかし、知識を持っているだけでは答案にならない。
ワトソン
「つまり知識を使う能力も試される?」
ホームズ
「医学書を一冊暗記した者と、患者を診断できる者は同じではないだろう」
私は医師なので、それには反論しにくかった。
第五章 知識のある技術者が不合格になる理由
技術士試験には、一見すると不思議なことが起こる。
豊富な実務経験がある。
専門知識もある。
会社では責任ある仕事を任されている。
それなのに不合格になる。
なぜだろう。
技術士試験は、
「この人は優秀な技術者か」
を漠然と判定しているのではない。
与えられた問題について、
何を課題と捉えたか。
なぜそれが重要なのか。
どのように解決するのか。
解決策を実施すると何が起こるのか。
その思考を、限られた時間と答案用紙の中で第三者に伝える試験である。
実務では、
「そんなことは現場では常識だ」
で通じることもある。
試験では通じない。
書かれていなければ、試験委員には伝わらない。
『シャーロック・ホームズの冒険』では、ワトソンとホームズが同じ場所を見ても、拾い上げる事実が違う。ホームズは観察した小さな事実を関係づけ、そこから推理を組み立てる。
技術士試験でも似たことが起こる。
全員が同じ問題文を読む。
しかし、そこから何を読み取り、どう構造化するかで答案は大きく変わる。
第六章 社会人が受ける試験という、もう一つの難易度
夕刻、ホームズが何気なく聞いた。
ホームズ
「ところでワトソン君。今日は何時間勉強する予定だった?」
「一時間半くらいかな」
「昨日は?」
「患者の対応が長引いてできなかった」
「一昨日は?」
私は答えなかった。
彼は満足そうに新聞へ目を戻した。
技術士試験の難しさは、問題だけではない。
受験者の多くは社会人である。
仕事がある。
出張もある。
家族との時間も必要だ。
帰宅して机へ向かったものの、疲れて何も頭へ入らない夜もある。
一週間順調に進んだと思えば、突発業務で三日空く。
それでも数か月にわたって学習を続ける。
過去問を読む。
専門知識を整理する。
骨子を作る。
答案を書く。
修正する。
この継続そのものが試験の難易度の一部になっている。
合格率だけを見ても、この負担は数字には現れない。
第七章 論文試験には「一つだけの正解」がない
技術士二次試験を難しく感じさせる別の理由がある。
正解が一つに決まらない。
同じ問題でも、課題の設定は複数あり得る。
最重要課題も受験者によって違ってよい。
解決策にも複数の組合せがある。
ワトソン
「それでは模範解答を覚えても駄目なのか?」
ホームズ
「事件ごとに犯人が違うのに、前の事件の供述調書を暗記してどうする?」
論文試験では、
「正解を知っている」
だけでは足りない。
自分の課題設定を説明できる。
解決策が課題につながっている。
解決策から新しいリスクを導ける。
その一連の筋が必要になる。
『シャーロック・ホームズの思考術』が扱う、観察し、仮説をつくり、検証し、必要なら修正するという思考過程とも重なる。
だから論文試験では、
「分かっているのに書けない」
ということが起こる。
ここが択一試験とは大きく違う。
第八章 「合格率10%」より見るべき数字がある
ホームズは統計表を私の方へ押し戻した。
ホームズ
「ワトソン君。この数字を見て君は他の受験者ばかり気にしている」
「合格率なんだから当然だろう」
「だが試験会場で、他人の答案を操作することはできない」
技術士第二次試験は、上位から一定人数だけを機械的に選ぶ試験ではない。
受験者ができることは、自分の答案を合格水準へ持っていくことだけだ。
だから、
「あの人は自分より経験が長い」
「周囲には優秀な技術者が多い」
と気にしても答案は一文字も改善しない。
見るべきなのは自分の答案である。
三つの課題は異なる観点から出ているか。
最重要課題を選んだ理由があるか。
解決策は具体的か。
専門技術が使われているか。
リスクは解決策から生じているか。
ここなら自分で変えられる。
合格率10%という数字は動かせない。
しかし、自分の答案は動かせる。
第九章 勉強時間を増やせば難関試験を突破できるのか
難関資格と聞けば、次に気になるのが勉強時間だ。
300時間。
500時間。
600時間。
数字を知りたくなる。
もちろん一定の勉強時間は必要である。
しかし、時間だけを蓄積しても答案は自動的には上達しない。
一時間、参考書を読んだ。
一時間、模範解答を眺めた。
一時間、自分で骨子を作った。
一時間、答案を書いて添削結果と比較した。
どれも時計では同じ一時間だ。
学習内容は違う。
ホームズ
「事件ファイルを千時間読めば、誰でも探偵になれるなら、スコットランド・ヤードには名探偵しかいないはずだ」
「君は本当に警察に手厳しいな」
勉強時間は必要条件であって、それだけで十分条件にはならない。
技術士試験で実力差が出るのは、
自分の頭で答案を作った時間
である。
第十章 合格率が低いからこそ、勉強方法の差が表れる
ここまで考えると、合格率10%という数字の別の姿が見えてくる。
単に、
「非常に難しい問題が出るから90%が落ちる」
とは限らない。
問題文を十分研究していない。
論文を書く訓練が不足している。
知識の収集だけに偏っている。
課題と解決策がつながっていない。
制限時間内に書く訓練をしていない。
こうした準備の違いも、最終的な合格率の中へすべて混ざっている。
ワトソン
「だとすると、合格率だけで試験そのものの難しさを測るのは難しいな」
ホームズ
「やっと数字を観察する気になったようだね」
合格率は重要な事実である。
しかし、それだけでは原因を説明してくれない。
合格率10%は、事件現場に残された足跡のようなものだ。
足跡は重要だ。
だが、それだけ見て事件の全貌を語れば推理ではなく早合点になる。
第十一章 「難関」という言葉に怯える必要はない
窓の外が薄暗くなってきた。
私は朝から何度も見ていた統計表を、もう一度手に取った。
令和7年度。
20技術部門で見れば、およそ10%。
数字は朝とまったく変わっていない。
だが、不思議なことに重さが違って見える。
ワトソン
「ホームズ。やっぱり私は技術士試験を難しい試験だと思うよ」
「私もだ」
意外な返事だった。
「では、最初からそう言えばいいじゃないか」
ホームズは首を振った。
ホームズ
「“難しい”の中身が分からないまま怖がるのと、何が難しいか分かっているのとでは全く違う」
専門知識を増やす。
問題文の読み方を覚える。
過去問を比較する。
骨子を作る。
論理をつなげる。
答案を書く。
どれも訓練できる。
運任せではない。
私は統計表を畳み、代わりに一枚の過去問を机へ広げた。
ホームズがその様子を見て笑った。
ホームズ
「ようやく10%を眺めるのをやめたかい?」
「数字を見ていても答案は一行も書けないからな」
「その点についてだけは、異論はないよ」
私は鉛筆を取った。
坂戸市ベイカー街221Bの夜は、そこから少し長くなった。

私(匠)は『日本シャーロック・ホームズ・クラブ』の正式会員です。
「日本シャーロック・ホームズ・クラブ(JSHC)」は、1977年に設立された日本最大級のシャーロック・ホームズ愛好家(シャーロキアン)の親睦団体です。全国に約700名の会員を擁し、専門的な研究からファンの交流まで幅広い活動を行っています。
【主な活動と特徴】
・イベントの開催: 毎年春と秋の「全国大会」のほか、東京や軽井沢でのセミナー、月例会などを開催しています。
・出版物の発行: 機関誌『ホームズの世界』や研究書の出版、関連事典の制作協力などを行っています。
・入会のしやすさ: 論文の提出義務などはなく、ホームズを愛する気持ちがあれば誰でも気軽に参加できるウェルカムな雰囲気のクラブです。







