―「たくさん解く人」より「変化を読む人」が強い理由
第一章 坂戸市ベイカー街221Bに積まれた八年分の問題
九月の朝、坂戸市ベイカー街221Bの居間には、いつになく大量の紙が散乱していた。
もちろん、坂戸市にベイカー街221Bなどという住所はない。
だがホームズは、そういう細かな矛盾を指摘されても平然としている男だった。
机の上には、技術士二次試験の過去問題。
令和8年度。
令和7年度。
令和6年度。
さらに古い年度まで、几帳面とは到底いえない状態で積み重なっている。
私は、その山を見てため息をついた。
ワトソン博士
「ホームズ。技術士二次試験の過去問は、いったい何年分やればいいんだ?」
彼は新聞から目を上げなかった。
シャーロック・ホームズ
「君は何年分やるつもりなんだい?」
「できれば三年くらいで済ませたい。五年と言われれば頑張る。十年と言われたら……たぶん聞かなかったことにする」
ようやくホームズが顔を上げた。
ホームズ
「なるほど。君は過去問を勉強する前に、まず量を減らそうとしているわけだ」
「社会人には時間がないんだよ」
「そこには同意しよう。ただし問題は、何年分“解くか”ではない」
彼は机の上から令和元年度と令和8年度の問題を抜き出した。
ホームズ
「何年分“読むか”と、何年分“書くか”を分けたまえ」
それは、私には少々意外な答えだった。
第二章 まず知っておきたい「令和元年度」という境目
技術士二次試験の過去問を何年分やればよいのか。
この問いを考えるうえで、一つ重要な境目がある。
令和元年度である。
日本技術士会が公開している過去問題ページでも、令和元年度以降を「試験制度改正後」として整理している。現在の試験制度を分析するなら、まずここを起点にするのが自然だ。
現在、機械部門から原子力・放射線部門までの20技術部門では、必須科目Ⅰと選択科目Ⅱ・Ⅲが記述式で行われている。必須科目Ⅰでは、技術部門全般について専門知識だけでなく、問題解決能力や課題遂行能力も問われる。
つまり、昔の問題まで無制限に遡ればよいというものではない。
ワトソン
「では平成30年度以前は見なくていいのか?」
ホームズ
「そうは言っていない。古い事件記録にも価値はある。ただ、現在の犯人を追うのに、二十年前の捜査手順をそのまま使うのは感心しないね」
平成30年度以前の問題にも、専門知識やテーマを知る価値はある。
しかし、現在の問題形式や設問の作り方を研究する目的なら、優先順位は令和元年度以降になる。
ここを混同すると、過去問を大量に解いたのに、現在の試験に必要な思考訓練から外れることがある。
第三章 時間がないなら「最新5年」を深くやる
では具体的に何年分か。
受験勉強の時間が限られているなら、私はまず直近5年分を勧めたい。
ただし条件がある。
五年分を一回ずつ眺めて終わるのではない。
一問ごとに、
何を問われているか。
条件は何か。
どの観点から課題を出すのか。
解決策に何を要求しているか。
リスクはどのように問われているか。
こうした構造まで見る。
ワトソン
「五年分なら、五年分全部の答案を書くのか?」
ホームズ
「君は相変わらず極端だね。すべてを書く必要はない」
一つの問題に対して、
問題文を読む。
骨子を作る。
課題を三つ考える。
最重要課題を選ぶ。
解決策を並べる。
そこまでなら、全文を書くよりずっと短時間でできる。
そして本当に重要な問題だけ、制限時間を意識して答案まで書く。
この方が効率はよい。
過去問学習とは、作文大会ではないのだ。
第四章 本気で出題傾向を読むなら「令和元年から8年分」
一方、出題傾向そのものを研究するなら話は違う。
令和8年度現在、試験制度改正後の問題は令和元年度から八年分ある。
日本技術士会も第二次試験の過去問題を部門別に公開している。
ならば、この八年間を一度は並べて見た方がよい。
ワトソン
「八年分すべて解くのか?」
ホームズ
「また“解く”と言ったね」
彼は令和元年度、令和3年度、令和6年度、令和8年度の問題を机の上に並べた。
ホームズ
「こうして比較するだけでも、見えるものはある」
実際、過去問を年度順に並べると、テーマだけではなく問題文の書き方が変化していることが分かる。
課題の数を明示する。
観点を示すよう求める。
人的資源や予算などの制約を置く。
解答してよい範囲を限定する。
専門技術を踏まえるよう要求する。
問題によっては、何を書いてはいけないかまで明記される。
重要なのは、
「何が出たか」だけではない。
「どう問われるようになったか」
である。
第五章 過去問は「テーマ当て」の道具ではない
受験者が過去問を見ると、ついテーマを数え始める。
DXは何回出た。
防災は何回出た。
脱炭素はそろそろ出そうだ。
人口減少は今年も怪しい。
そして翌年度の出題予想へ向かう。
私はこれを完全に無意味だとは思わない。
しかし、それだけなら過去問分析としては浅い。
ワトソン
「でもホームズ、過去に何度も出ているテーマなら、また出る可能性はあるだろう?」
ホームズ
「もちろんある。しかし“何が出るか”を当てるより、“何が出ても対応できるか”を研究した方が合理的じゃないか?」
なるほど。
過去問から本当に読みたいのは、出題者の癖である。
社会問題をどう技術課題へ変換させているか。
どのような観点を求めているか。
最重要課題をどう選ばせるか。
解決策の後にどんなリスクを考えさせるか。
そこには一定の構造がある。
テーマは変わっても、考え方まで毎年ゼロから変わるわけではない。
『シャーロック・ホームズの冒険』でも、ホームズは事件名を暗記して推理しているのではない。目の前の証拠を観察し、その配置や矛盾から構造を読む。
技術士二次試験の過去問にも、同じ読み方ができる。
第六章 「十年分解きました」が必ずしも強くない理由
ここで少し意地の悪い話をしよう。
受験者から、
「過去問を十年分やりました」
と聞くことがある。
大変な努力だ。
だが、それだけでは実力を判断できない。
ホームズ
「ワトソン君。十件の事件現場を見学した警官と、一件の現場を徹底的に調べた警官。どちらが優秀だと思う?」
「条件次第だな」
「珍しく慎重だね。その通りだ」
過去問も同じだ。
十年分の模範解答を読んだ。
答案を書き写した。
キーワードを覚えた。
それだけなら、問題文を読む能力はほとんど鍛えられていない。
反対に一問について、
なぜこの条件文があるのか。
なぜ三課題なのか。
観点とは何か。
最重要課題は別のものでは駄目か。
この解決策からどんなリスクが出るか。
そこまで考えれば、一問から得られる情報量はまるで違う。
過去問学習で競うべきなのは、年数ではない。
一問からどれだけ推理したかである。
第七章 同じ問題を二度やると、自分の成長が見える
過去問の使い方でもう一つ勧めたいことがある。
同じ問題を時間を空けて再び解く。
受験者の中には、
「一度やった問題だから意味がない」
と思う人がいる。
逆だ。
一度解いた問題だからこそ面白い。
三か月前、自分はどんな観点を選んだのか。
課題は具体的だったか。
解決策は単なる技術名の列挙になっていなかったか。
リスクが解決策とつながっていたか。
二度目に解けば、自分の思考の変化が見える。
ワトソン
「答えを覚えてしまわないか?」
ホームズ
「覚えていたら、それを使わず別の答えを作ればいい」
例えば最重要課題を変えてみる。
別の観点から三課題を出す。
解決策も入れ替える。
そうすると、
一つの問題に正解が一つしかないわけではない
ことが分かってくる。
これが論文試験の訓練になる。
第八章 過去問を見る順番にも意味がある
では令和元年から令和8年まで、どの順番で見るのか。
私はいきなり古い年度から順番に解く方法だけにはこだわらない。
最初に最新年度を見る。
次に一年前。
その後、三年ほど遡る。
そこで一度、令和元年度を見る。
すると、
「現在の問題文は昔と何が違うのか」
が見えやすい。
ワトソン
「なぜ最初から令和元年、2年、3年と順番に行かない?」
ホームズ
「変化を知りたいなら、まず両端を見る方が早いこともある」
これはホームズらしい。
例えば令和元年度と令和8年度を並べる。
条件文の長さ。
観点指定。
専門技術への要求。
除外条件。
そこに違いが見つかれば、その途中の年度を追う。
すると変化の過程が見える。
過去問を単なる問題集ではなく、試験制度の記録として読むのである。
第九章 選択科目Ⅱ-1、Ⅱ-2、Ⅲは同じ読み方をしない
もう一つ注意したい。
技術士二次試験の過去問といっても、問題の性格は同じではない。
Ⅱ-1は専門知識。
Ⅱ-2は専門知識を使って業務を遂行する力。
Ⅲは問題解決能力や課題遂行能力。
必須科目Ⅰもまた、技術部門全般を扱う。
日本技術士会の現行科目説明でも、20技術部門について必須科目Ⅰと選択科目Ⅱ・Ⅲでは問う能力を分けている。
だから、
「過去問を五年分やった」
だけでは足りない。
何の過去問を、何の能力を鍛えるために使ったのか。
そこまで分ける必要がある。
例えばⅡ-1なら、
専門用語を説明できるか。
原理、特徴、留意点を書けるか。
Ⅱ-2なら、
調査。
検討。
手順。
留意事項。
関係者調整。
こうした実務の流れを意識する。
Ⅲなら、
観点。
課題。
最重要課題。
解決策。
新たなリスク。
この論理構造を見る。
同じ一時間でも、目的が違えば学習方法も変わる。
第十章 「五年」と「八年」を使い分ける
ここまで話したところで、私は最初の質問へ戻った。
ワトソン
「結局、何年分なんだ?」
ホームズは少し呆れた顔をした。
「君は長い話をした後、数字一つだけ持ち帰るタイプだね」
「読者だって知りたいはずだ」
「なら、こう書いておけばいい」
彼は紙に二行書いた。
直近5年分は深く解く。
令和元年度からの8年分は広く比較する。
私はその紙をしばらく眺めた。
なるほど、これなら矛盾しない。
時間のない受験者は、まず五年。
ただし出題傾向を研究するなら、令和元年度まで遡る。
八年分すべてについて毎回答案を書く必要はない。
問題文だけ読む年度。
骨子だけ作る問題。
全文を書く問題。
強弱をつける。
それが社会人にとって現実的だ。
第十一章 模範解答を見る前に三十分考える
過去問学習でもっとも避けたい行動がある。
問題を開く。
難しい。
すぐ模範解答を見る。
そして、
「なるほど」
と言う。
ホームズ
「“なるほど”ほど危険な言葉もないね」
「また極端なことを」
「自分では一度も考えていないのに、理解した気分にしてくれるからさ」
模範解答を見る前に、自分の頭を使う時間を設ける。
三十分でもよい。
課題を三つ書く。
最重要課題を一つ決める。
解決策だけ箇条書きにする。
その後で他人の答案を見る。
すると初めて比較できる。
自分にはなかった観点。
自分より優れた解決策。
反対に、模範解答でも納得できない部分。
それが見えてくる。
最初から答えを見ると、すべて正しく見える。
自分で一度推理すると、答案を批判的に読む目が生まれる。
『シャーロック・ホームズの思考術』で扱われる、観察し、仮説を立て、検証するという思考にも近い。
第十二章 八年分の問題から「自分専用の地図」を作る
夕方になった。
朝には乱雑に積まれていた過去問題が、年度別に机の上へ並んでいる。
私は令和元年度の問題を手に取った。
ワトソン
「不思議だな。朝は八年分と聞いただけで嫌になったのに、いまは少し違って見える」
ホームズ
「問題集として見ていたからだよ」
「今は?」
「記録だ」
八年間の記録。
何を社会問題として扱ったか。
どんな条件を付けたか。
どんな言葉で受験者の思考を誘導したか。
何を専門技術として要求したか。
それを並べれば、自分が勉強すべき範囲も見えてくる。
過去問を何年分やればよいのか。
数字だけなら五年でも八年でも言える。
だが、十年分を流して読むより、五年分を深く読み、八年分を比較する方がずっと面白い。
私は机の端に積まれた模範解答集へ手を伸ばした。
その瞬間、ホームズが指で机を二度叩いた。
ホームズ
「ワトソン君」
「何だ?」
「まだ自分の骨子を書いていない」
私は手を止めた。
彼は満足そうに目を細めた。
ホームズ
「過去問は答えを探すためにあるんじゃない。君自身の推理を鍛えるためにあるんだよ」
そして令和8年度の問題を一枚、私の前へ滑らせた。
鉛筆も一緒だった。

私(匠)は『日本シャーロック・ホームズ・クラブ』の正式会員です。
「日本シャーロック・ホームズ・クラブ(JSHC)」は、1977年に設立された日本最大級のシャーロック・ホームズ愛好家(シャーロキアン)の親睦団体です。全国に約700名の会員を擁し、専門的な研究からファンの交流まで幅広い活動を行っています。
【主な活動と特徴】
・イベントの開催: 毎年春と秋の「全国大会」のほか、東京や軽井沢でのセミナー、月例会などを開催しています。
・出版物の発行: 機関誌『ホームズの世界』や研究書の出版、関連事典の制作協力などを行っています。
・入会のしやすさ: 論文の提出義務などはなく、ホームズを愛する気持ちがあれば誰でも気軽に参加できるウェルカムな雰囲気のクラブです。








