―生成AIを使う勉強、使ってはいけない勉強
第一章 坂戸市ベイカー街221Bの奇妙な答案
九月の朝だった。
坂戸市ベイカー街221B――もちろん地図を探しても、そんな住所は見つからない――の窓辺で、私は一枚の答案を眺めていた。
いや、正確には答案ではない。
ノートパソコンの画面に表示された文章だった。
ワトソン博士
「ホームズ、ちょっとこれを見てくれないか」
ホームズは椅子に深く腰を沈めたまま、こちらを見ようともしなかった。
シャーロック・ホームズ
「技術士試験の答案だね」
私は思わず画面から顔を上げた。
ワトソン
「まだ何も見せていないぞ」
ホームズ
「君が朝から三度も同じ画面を読み返している。それに机の上には『令和○年度 必須問題』と書かれた紙がある。ほかに何がある?」
こういう男なのだ。
私は苦笑しながらパソコンを彼の前へ向けた。
「ChatGPTに作らせたんだ。見事なものだろう。課題が三つ、最重要課題、解決策、リスク、技術者倫理まで揃っている。しかも数十秒だ」
ホームズは、ようやく画面を見た。
ほんの数秒だった。
ホームズ
「それで、君自身はこの問題の最重要課題を何だと考えた?」
「それは……」
答えが出ない。
彼は画面から私へ視線を移した。
ホームズ
「なるほど。AIは答案を完成させたが、君の勉強は始まってすらいないらしい」
生成AI時代の技術士試験勉強法を考えるなら、まずこの一点から始めなければならない。
ChatGPTは便利である。
驚くほど便利だ。
だからこそ、使い方を間違えると厄介なのである。
第二章 生成AIによって「調べる時間」は激減した
技術士試験を受験する人の多くは社会人だ。
朝から仕事をする。
会議がある。
現場へ行く。
帰宅する頃には夜になっている。
そこから技術士二次試験の勉強を始める。
一時間確保できればよい日もあるだろう。
以前なら、知らない専門用語が一つ出てきただけで相当な時間を取られた。
書籍を探す。
官公庁資料を検索する。
関連するページを読む。
意味をノートへ整理する。
気が付けば、その日の勉強時間が終わっている。
ところが生成AIならどうだろう。
「○○について技術士試験の受験者向けに説明してください」
これだけで概要が返ってくる。
さらに、
「メリットとデメリットを比較して」
「建設部門の視点から整理して」
「300文字程度に要約して」
と追加すればよい。
ワトソン
「だから私は便利だと言っているんだよ。これなら社会人でも勉強時間を節約できる」
ホームズ
「もちろんだ。私はAIを捨てろとは一言も言っていない」
「では何が気に入らない?」
「馬車が自動車になったからといって、自動車に行き先まで決めさせる必要はないという話さ」
生成AIによって変わったのは、勉強そのものではない。
勉強に付随していた作業時間が大きく減った。
ここを取り違えない方がよい。
第三章 AIに任せてよいのは「材料整理」である
ホームズの思考には、観察した情報を選別し、必要なものを残し、そこから仮説を組み立てる特徴がある。
『シャーロック・ホームズの思考術』でも、単に多くの情報を持つことではなく、注意を向け、観察し、仮説を確かめる過程が繰り返し扱われている。
技術士試験に置き換えて考えてみよう。
AIに任せやすい作業は多い。
専門用語を整理する。
複数技術を比較する。
メリットとデメリットを並べる。
過去問のテーマを分類する。
長い政策資料を要約する。
文章の重複を探す。
不足している論点を候補として挙げてもらう。
ここは遠慮なく使えばよい。
むしろ、生成AI時代に人間が延々と単純整理を続ける意味は薄くなった。
問題はその先だ。
AIが五つの課題候補を出した。
どれを採用するのか。
AIが三つの解決策を示した。
なぜその三つなのか。
二つの施策が衝突した。
どちらを優先するのか。
ここからは受験者自身の仕事になる。
第四章 「課題を三つ作ってください」という危険な質問
ワトソン
「しかしホームズ、課題候補くらいAIに出してもらってもいいじゃないか」
ホームズ
「候補ならね。問題は、候補を答えだと思い込むことだ」
技術士二次試験では、問題文を読み、多面的な観点から課題を抽出し、重要な課題を選び、解決策へ展開する。
ここでAIに、
「課題を三つ作ってください」
と入力する。
すぐに答えが出る。
DX。
人材不足。
老朽化。
脱炭素。
防災。
どれも間違っているようには見えない。
だが、そこに落とし穴がある。
ホームズ
「ワトソン君。殺人事件の現場へ向かう途中で、警察から『容疑者を三人選んでおきました』と言われたら、君はその三人から犯人を選ぶのか?」
「いや。まず現場を見る」
「その通り。ではなぜ試験問題では現場を見ない?」
問題文は事件現場である。
どんな条件が付いているのか。
何を対象としているのか。
何を除外しているのか。
誰の立場から答えるのか。
そこを読まずにAIが挙げた課題から出発すれば、出題者の問いから離れていく。
技術士試験で重要なのは、課題の名前を知っていることではない。
なぜその課題を選んだのか説明できることだ。
第五章 過去問はAIに「解かせる」より「比較させる」
生成AIと過去問の相性は悪くない。
むしろ非常によい。
ただし使い方を変える。
「この問題の模範解答を作ってください」
だけでは惜しい。
例えば、
「令和元年と令和8年で設問条件がどう変わったか比較してください」
「課題抽出に関する指定を抜き出してください」
「解決策に要求される条件の違いを整理してください」
と聞く。
大量の文章から共通点や相違点を拾う作業はAIが得意だ。
そこで初めて、人間が考える。
なぜ変わったのか。
自分の答案作成方法をどう変えるのか。
今後どんな訓練をすべきなのか。
ワトソン
「では、来年何が出るか予想させるのはどうだ?」
ホームズは鼻で笑った。
ホームズ
「それなら競馬の予想も一緒に頼みたまえ」
過去問研究の目的は、テーマを当てることではない。
出題者がどのような思考を受験者に求めているかを読むことにある。
『シャーロック・ホームズの冒険』でも、ワトソンが見過ごした小さな事実をホームズが拾い、それらを結びつけて事件の構造へ迫っていく。目の前に情報が存在することと、その意味を読むことは別である。
過去問も同じだ。
第六章 AIに骨子を作らせ続けると何が起こるか
問題文をコピーする。
ChatGPTへ貼る。
「技術士試験の形式で骨子を作ってください」
数秒後、立派な骨子が表示される。
それを読む。
なるほどと思う。
少し修正する。
一問終わった気になる。
これを半年続ける。
さて、本番はどうなるだろう。
ホームズ
「試験会場で最初の一行を作るのは誰だ?」
AIはいない。
自分しかいない。
観点を設定する。
課題を抽出する。
最重要課題を決める。
解決策を考える。
リスクを予測する。
そこまでを自力で行わなければならない。
AIが作った骨子を百本読んでも、自分で一本も作っていなければ、必要な筋肉は育っていない。
水泳の動画を百時間見た人を、そのまま深いプールへ放り込むようなものだ。
知識はある。
手順も知っている。
だが泳げない。
技術士試験でも同じことが起こる。
第七章 生成AIは「答案作成機」ではなく「反論者」にする
そこでホームズは紙を一枚取り出し、短く書いた。
「まず自分で推理せよ」
生成AIを技術士試験勉強に使うなら、この順番がよい。
先に自分で問題文を読む。
観点を考える。
課題を三つ出す。
最重要課題を選ぶ。
解決策を考える。
ここまでやってからAIを呼ぶ。
例えば、
「この三課題は本当に多面的か」
「観点と課題が混同していないか」
「最重要課題をこれにした理由へ反論してくれ」
「この解決策を実施した場合、新たなリスクはないか」
「反対する関係者の立場から批判してくれ」
こう質問する。
するとAIは答えを書く機械ではなくなる。
自分の推理の穴を探す相手になる。
ワトソン
「つまりAIに褒めてもらうのではなく、意地悪をさせるわけか」
ホームズ
「君も時には鋭いことを言う」
自分で考える。
反論される。
再び考える。
修正する。
これは生成AI以前なら、一人ではなかなかできなかった学習である。
AIの価値はここにある。
第八章 AI添削で最も危険な質問
答案を書いた後、
「この答案は合格答案ですか」
とAIに聞きたくなる。
だが、これは少々危険だ。
ワトソン
「なぜだ? 添削してくれるなら便利だろう」
ホームズ
「医者である君に患者が『ネットでは健康と出ました』と言ったら、診察をやめるのか?」
「やめない」
「なら話は同じだ」
生成AIは文章のチェックには使える。
長すぎる一文。
主語と述語のずれ。
重複表現。
論理の飛躍。
こうしたものを見つけるには便利だ。
一方で、AIは専門技術を誤って説明することもある。
古い制度を混ぜる場合もある。
もっともらしい名称を作ってしまうことすらある。
だから、
「AIが正しいと言った」
は確認にならない。
技術士試験の制度なら公式資料を見る。
法律なら条文を見る。
政策なら所管省庁の一次資料へ戻る。
AIは原典ではない。
それを忘れた瞬間、便利さは危うさへ変わる。
第九章 生成AI時代でも専門知識は必要か
「それならホームズ」
私は少し意地悪く聞いた。
「AIが何でも説明してくれるなら、専門用語を覚える必要もなくなるんじゃないか?」
彼は露骨に眉をひそめた。
ホームズ
「ワトソン君。医学辞典を持っていれば、解剖学を知らなくても医者になれると思うか?」
もちろん、そんなはずはない。
知識がなければ、AIの説明が間違っていることにも気づけない。
複数技術を比較できない。
問題文を読んでも、関連する専門知識を呼び出せない。
だから知識は必要だ。
ただし、勉強時間の使い方は変わる。
資料を丸写しする時間。
同じ情報を何度も検索する時間。
長大な資料から必要箇所を探す時間。
そこはAIで削減できる。
浮いた時間を、
過去問を読む。
骨子を作る。
答案を書く。
解決策を比較する。
自分の論理へ反論する。
こちらへ回す。
生成AIによって技術士試験の勉強時間がなくなるのではない。
時間の配分が変わるのである。
第十章 AIを使った後、頭の中に何が残ったか
窓の外を見れば、朝の光がずいぶん高くなっていた。
私は最初にChatGPTへ作らせた答案をもう一度見た。
整っている。
論理も通っているように見える。
だが、そこに書かれている最重要課題を、なぜ選んだのか説明できない。
急に、その答案が借り物に見えてきた。
ワトソン
「ホームズ。ようやく分かった気がする」
「何がだい?」
「AIを使うか、使わないかが問題じゃない」
「その通り」
「AIにどこまでやらせたか、でもない」
ホームズは少しだけ笑った。
ワトソン
「AIを使ったあと、自分の頭に何が残ったか――そこを見るべきなんだな」
彼は机の上から鉛筆を一本取り、私に放った。
ホームズ
「では、さっきの問題をもう一度やろう」
「ChatGPTは?」
「まだ開かなくていい」
そう言って、彼は椅子へ深く座り直した。
ホームズ
「まず君の推理を聞かせてもらおうじゃないか、ワトソン君」

私(匠)は『日本シャーロック・ホームズ・クラブ』の正式会員です。
「日本シャーロック・ホームズ・クラブ(JSHC)」は、1977年に設立された日本最大級のシャーロック・ホームズ愛好家(シャーロキアン)の親睦団体です。全国に約700名の会員を擁し、専門的な研究からファンの交流まで幅広い活動を行っています。
【主な活動と特徴】
・イベントの開催: 毎年春と秋の「全国大会」のほか、東京や軽井沢でのセミナー、月例会などを開催しています。
・出版物の発行: 機関誌『ホームズの世界』や研究書の出版、関連事典の制作協力などを行っています。
・入会のしやすさ: 論文の提出義務などはなく、ホームズを愛する気持ちがあれば誰でも気軽に参加できるウェルカムな雰囲気のクラブです。








