目次
~技術士に求められる「トレードオフ解決」の本質~
プロローグ:ベイカー街の難題
~坂戸市ベイカー街221B。うずたかく積まれた試験資料の前で~
ワトソン博士 「ううむ……分からない。全く分からないぞ、ホームズ!」 (ワトソンは、日本技術士会から発表された『令和8年度からのコンピテンシー改訂』の資料を床に投げつけた)
シャーロック・ホームズ (窓辺でバイオリンの手入れをしながら、静かに振り返る) 「騒々しいね、ワトソン君。ロンドン警視庁(スコットランドヤード)の迷宮入り事件より厄介な代物かい?」
ワトソン 「技術士試験の必須科目だよ! 令和8年(2026年)から『問題解決』の定義が変わるというから読み比べてみたんだが、何が言いたいのかさっぱりだ。 ほら、これを見てくれ。これが新旧の比較だ」
【旧定義】 ・業務遂行上直面する複合的な問題に対して,これらの内容を明確にし,調査し,これらの背景に潜在する問題発生要因や制約要因を抽出し分析すること。 ・複合的な問題に関して,相反する要求事項(必要性,機能性,技術的実現性,安全性,経済性等),それらによって及ぼされる影響の重要度を考慮したうえで,複数の選択肢を提起し,これらを踏まえた解決策を合理的に提案し,又は改善すること。
【新定義(令和8年以降)】 ・業務遂行上直面する複合的な問題に対して,これらの内容を明確にし,必要に応じてデータ・情報技術を活用して定義し,調査し,これらの背景に潜在する問題発生要因や制約要因を抽出し分析すること。 ・複合的な問題に関して,多角的な視点を考慮し,ステークホルダーの意見を取り入れながら,相反する要求事項(必要性,機能性,技術的実現性,安全性,経済性等),それらによって及ぼされる影響の重要度を考慮した上で,複数の選択肢を提起し,これらを踏まえた解決策を合理的に提案し,又は改善すること。
ワトソン 「旧定義にも『相反する要求事項』という言葉はあった。新定義で『データ活用』や『ステークホルダー』という言葉が付け足されたのは分かる。だが、本質的に何が変わったんだ? 結局、『問題を分析して解決策を出せ』ということに変わりはないだろう?」
ホームズ (バイオリンを置き、ワトソンの向かいに座る。その目は獲物を見つけた鷹のように鋭い) 「君の言う通り、一見するとマイナーチェンジに見える。だが、この数行の加筆によって、技術士試験の採点基準は『全く別のゲーム』に書き換えられたのだよ。 最大のキーワードは『トレードオフ(相反する要求事項)の打破』だ。 これからの技術士は、単なる『問題解決者(ソルバー)』ではなく、『対立する要求の真ん中で、最も合理的な旗を振るコーディネーター』にならなければならない」
第1章:パズルから「デザイン(設計)」への進化
ワトソン 「トレードオフの打破……? 妥協点を見つけるということか?」
ホームズ 「『妥協(足して2で割る)』ではない。そこが素人の陥る罠だ。 ワトソン君、君は『パズル』と『デザイン(設計)』の違いが分かるかい?」
ワトソン 「パズルには唯一の正解があるが、デザインには正解がない……とか?」
ホームズ 「その通りだ。これまでの技術士試験(あるいは旧時代の現場)は、どちらかと言えば『パズル』だった。 『インフラが老朽化しています。どう直しますか?』『はい、長寿命化技術を使います』。これでA評価がもらえた。単一の正解を探せばよかったからだ。 だが現代社会は違う。一つの問題を解こうとすると、必ず別の問題が噴き出す」
ワトソン 「あちらを立てれば、こちらが立たず、か」
ホームズ 「まさにそれだ。 カーボンニュートラルを推進しようとすれば(環境性)、再エネ賦課金で電気代が上がり経済を圧迫する(経済性)。 老朽化したインフラを全て最新基準で更新しようとすれば(安全性)、国の財源が破綻する(経済性)。 技術士が扱う対象は、常にこの『複合的な問題(トレードオフ)』なのだ。 新コンピテンシーは、『一方を切り捨てるような短絡的な答え(パズルの解法)』を禁止し、『複数の選択肢を提起し、ステークホルダーを巻き込んで、第3の道(デザイン)を提示しろ』と命令しているのだよ」
第2章:分析フェーズに隠された「データ」という刃
ワトソン 「なるほど、背景は分かった。では、具体的にどうすればいい? 新定義の最初のステップ『分析フェーズ』を見てみよう」
【新定義:分析フェーズ】 「業務遂行上直面する複合的な問題に対して、これらの内容を明確にし、必要に応じてデータ・情報技術を活用して定義し、調査し、これらの背景に潜在する問題発生要因や制約要因を抽出し分析すること。」
ホームズ 「ここで問われているのは、『表面的な事象』と『根本的な制約要因』を見分ける眼力だ。 例えばワトソン君、君が河川改修工事の責任者だとする。『堤防を高くしたいが、住民から反対されている』という問題が起きた。君ならどう分析する?」
ワトソン 「『住民の反対』が問題発生要因だな。ならば解決策は『何度も説明会を開いて説得する』だ!」
ホームズ 「……君のその精神論には頭が痛くなるよ。それのどこが『データ・情報技術を活用した定義』なんだい? 採点官はそんな答案を見たら、ため息をついてB評価のハンコを押すだろうね。 いいかい、プロの技術士の分析はこうだ。 『3Dシミュレーションモデル(情報技術)を用いて浸水リスクを可視化した結果、住民の反対の真の理由は景観の阻害ではなく、日照権の喪失にあることが判明した。これが物理的な制約要因である』。 このように、客観的なデータを用いて問題を「定義」し直すプロセスが、新試験では絶対に欠かせないのだ」
第3章:トレードオフを可視化する「5つの視点」
ワトソン 「おお……データで問題を裸にするのか。 そして次が、いよいよ『解決フェーズ』だな。ここが一番長い」
【新定義:解決フェーズ】 「複合的な問題に関して、多角的な視点を考慮し、ステークホルダーの意見を取り入れながら、相反する要求事項(必要性、機能性、技術的実現性、安全性、経済性等)、それらによって及ぼされる影響の重要度を考慮した上で、複数の選択肢を提起し、これらを踏まえた解決策を合理的に提案し、又は改善すること。」
ホームズ 「ここで最も注目すべきは、カッコ内に明記された『5つの視点』だ。 試験本番でパニックにならないために、この5つの武器(マトリックス)を常に頭の中に入れておきたまえ」
- 必要性(Social Needs): その事業や技術は、本当に今の社会(あるいは未来)に必要なのか?
- 機能性(Functionality): 要求されるスペックや使い勝手は満たしているか?
- 技術的実現性(Technical Feasibility): 夢物語ではなく、既存技術または開発可能な技術で実現できるか?
- 安全性(Safety): 施工中、供用中、そして廃棄に至るまでの環境・人命へのリスクは?
- 経済性(Economy): 初期投資だけでなく、LCC(ライフサイクルコスト)に見合っているか?
ホームズ 「これら5つの視点は、常に仲が悪い。 『究極の安全性』を求めれば『経済性』が崩壊する。 『夢のような機能性』を求めれば『技術的実現性』が壁になる。 技術士の論文とは、この『5つの視点がどう激突しているか(構造化)』を採点官に見せつけるエンターテインメントでなければならないのだ」
ワトソン 「なるほど……。単に『こうやって解決しました!』と自慢するのではなく、『こっちを立てればあっちが立たない、この絶望的な状況をどうするか?』という葛藤(ドラマ)を描く必要があるわけだな」
ホームズ 「その通りだ、ワトソン君。 前編の結論としよう。令和8年度からの技術士に求められるのは、単に『技術に詳しい専門バカ』ではない。 『データを使って対立(トレードオフ)を可視化し、異なる価値観を持つステークホルダーを巻き込みながら、最も合理的な旗を振るリーダー』だ。
では後編で、このトレードオフという強敵を具体的にどうやって『打破』していくのか。 試験の答案用紙でそのまま使える、『第3の道を創出する5つの戦略』を伝授しよう」
(後編へ続く)







