―AIの答案を読んで「勉強した気」になる危険
第一章 坂戸市ベイカー街221Bに現れた完璧すぎる答案
九月の午後、坂戸市ベイカー街221B。
もちろん、そんな住所は実在しない。
だが、この部屋では住所の真偽より、答案の真偽の方が重要だった。
私は一枚の紙をホームズの前へ置いた。
ワトソン博士
「どうだい、ホームズ。なかなかよくできているだろう」
彼は紙を手に取った。
三十秒。
いや、二十秒も見ていなかったと思う。
シャーロック・ホームズ
「君が書いたものではないね」
私は思わず身を乗り出した。
ワトソン
「どうして分かる?」
「文章が君より上手だからさ」
「それは失礼じゃないか」
彼は少し笑って、紙をテーブルへ戻した。
ホームズ
「ChatGPTだろう?」
図星だった。
技術士二次試験の過去問を入力し、
「模範解答を作ってください」
と頼んだ。
数十秒後、課題が三つ並んだ。
最重要課題が選ばれた。
解決策も三つ。
リスクまである。
文章も整っている。
一見すると、申し分ない。
ワトソン
「これを読めば勉強になるじゃないか。自分で何時間も悩むより、ずっと効率的だ」
ホームズは椅子にもたれた。
ホームズ
「なら聞こう。第一の課題を、なぜその観点から選んだ?」
私は答案を見た。
「それは……ChatGPTがそう書いたからだ」
「第二の解決策より、第三の解決策を優先すべき理由は?」
答えられない。
「では、このリスクはなぜ生じる?」
また答えられなかった。
ホームズは静かに言った。
ホームズ
「ワトソン君。それは模範解答ではない。君にとっては、まだ他人の答案だよ」
第二章 ChatGPTは、なぜ立派な模範解答を作れるのか
まず誤解を避けておこう。
ChatGPTで技術士試験の答案を作ること自体が悪いわけではない。
現在の生成AIは、文章の構造化を非常に得意としている。
問題文を入力し、
「課題を三つ」
「最重要課題」
「解決策を三つ」
「新たなリスク」
と指定すれば、それらしい形に整えることができる。
しかも速い。
ワトソン
「そこなんだよ。これだけ速いなら使わない手はない」
ホームズ
「使うなとは言っていない。薬も用量を間違えれば毒になると言っているだけだ」
ChatGPTは、大量の文章パターンから自然な文章を生成する。
そのため、
「技術士答案らしい文章」
を作ることはできる。
だが、
文章が技術士答案らしく見えること
と、
その答案があなた自身の思考になっていること
は別である。
ここが最も重要な違いだ。
第三章 「読んで分かった」と「自分で書ける」は別の能力である
模範解答を読む。
なるほど、と思う。
確かにその課題は重要だ。
この解決策もよさそうだ。
リスクもきれいにつながっている。
ここで人間の頭には、少々厄介な現象が起きる。
理解した気になる。
ワトソン
「理解したなら、それでいいじゃないか」
ホームズ
「では紙を閉じて、同じ構成を自分で作ってみたまえ」
やってみる。
止まる。
最初の課題が出ない。
観点も決まらない。
解決策を思いついても、課題とうまくつながらない。
ついさっきまで完璧に理解していたはずなのに。
なぜだろう。
答えは簡単だ。
読むことと、作ることは違うからである。
料理の本を読めば、手順は分かる。
だが包丁を握ったことがなければ、同じ料理を作れるとは限らない。
技術士試験も同じだ。
答案を読む力と、答案を組み立てる力は別物である。
第四章 AIの模範解答には「もっともらしさ」という罠がある
ChatGPTの文章には、一つ強い特徴がある。
非常にもっともらしい。
この「もっともらしい」という性質は便利だ。
一方で、受験勉強では危険でもある。
OpenAI自身も、ChatGPTは有用である一方、誤った内容や誤解を招く回答を生成することがあり、場合によっては自信ありげに間違えると説明している。
つまり、
文章が自然。
論理的に見える。
専門用語が入っている。
だから正しい。
とは限らない。
例えば、
実在しない制度。
古い基準。
似た名称の技術の混同。
専門分野では意味が異なる用語。
こうしたものが、きれいな文章の中に混じる可能性がある。
ワトソン
「文章が下手なら疑うんだが、上手いと信じてしまうな」
ホームズ
「詐欺師も同じだよ。怪しい顔をして近づいてくる者ばかりなら、世の中はずいぶん安全になる」
だからこそ、技術士試験でAIを使うなら、事実確認が必要になる。
法律なら条文。
政策なら官公庁資料。
技術基準なら原典。
そこへ戻る。
AIの回答は、確認の終点ではない。
第五章 模範解答を最初に見ると、観点を作る訓練が消える
技術士二次試験では、答案を書く前に重要な作業がある。
問題文を読む。
条件を拾う。
観点を設定する。
課題を抽出する。
この部分こそ、受験者自身が行わなければならない。
ところがChatGPTへ最初から、
「模範解答を作ってください」
と頼むと、その工程が全部消える。
課題もAIが決める。
観点もAIが決める。
最重要課題もAIが決める。
ワトソン
「つまり、完成品を先に見てしまうわけか」
ホームズ
「事件現場へ行く前に、犯人の名前と推理過程を全部読んでしまうようなものだ」
『シャーロック・ホームズの冒険』でも、ホームズの面白さは犯人の名前そのものではない。
小さな証拠を拾う。
意味を考える。
仮説を作る。
違えば捨てる。
その過程にある。
技術士試験でも、答案の価値は最終的な文章だけにあるのではない。
そこへ到達するまでの思考が訓練になる。
完成した模範解答を最初に見てしまうと、その最も重要な部分を飛ばしてしまう。
第六章 AIの答案は、なぜ似た形になりやすいのか
もう一つ気になることがある。
AIに同じような技術士問題をいくつか入力すると、
課題。
DX。
人材。
維持管理。
情報共有。
効率化。
こうした語が何度も出てくることがある。
もちろん、テーマによっては正しい。
だが、そこには危険がある。
便利な言葉は、どんな問題にも入りやすい。
例えば、
「AIを活用する」
「IoTを導入する」
「データを一元化する」
「人材育成を進める」
「関係者間で情報共有する」
どれも間違いではない。
しかし技術士答案では、
何を計測するのか。
何を判断するのか。
どんな技術を使うのか。
誰と誰を調整するのか。
その具体性が必要になる。
便利な言葉を並べただけでは、専門技術として薄くなる。
ホームズ
「ワトソン君。“情報を集める”だけで事件が解決するなら、新聞記者は全員名探偵だ」
問題ごとの固有条件を読む。
そこから解決策を組み立てる。
AIの定型表現に答案を寄せるのではなく、問題文から答案を作る。
順番を逆にしてはいけない。
第七章 最も危険なのは「AI答案の暗記」である
もしChatGPTが作った答案を、そのまま覚えたらどうなるか。
本番で似たテーマが出れば使える。
そう考える人もいるかもしれない。
しかし、少し条件が変わると困る。
人口減少というテーマは同じでも、
対象地域が違う。
役割が違う。
予算制約が入る。
人的資源制約が入る。
技術面に限定される。
除外条件が付く。
それだけで答案の方向は変わる。
ワトソン
「確かに、同じテーマでも問題文次第だな」
ホームズ
「事件名が同じなら犯人まで同じ、とはならないだろう」
暗記した答案は、問題文の変化に弱い。
それに対して、
問題文を読む。
観点を決める。
課題を作る。
という方法を身につけた人は、テーマが変わっても対応できる。
技術士二次試験で本当に身につけたいのは、
答案そのものではなく、答案を作る方法
である。
第八章 ではChatGPTに何をさせればよいのか
ここまで読めば、
「ChatGPTは技術士試験に使わない方がよい」
と思うかもしれない。
違う。
むしろ使った方がよい。
ただし順番を変える。
最初に自分で骨子を作る。
これが先だ。
課題を三つ考える。
最重要課題を一つ選ぶ。
解決策を出す。
リスクを考える。
その後でChatGPTを使う。
例えば、
「この三課題は本当に異なる観点か」
「最重要課題の選定理由に反論してくれ」
「この解決策の弱点を三つ挙げてくれ」
「このリスクは解決策から自然に発生しているか」
「別の立場の関係者なら何に反対するか」
こう使う。
ワトソン
「答案を書かせるのではなく、答案を攻撃させる?」
ホームズ
「その方がずっと役に立つ」
AIは非常に優秀な壁打ち相手になれる。
反論させる。
別案を出させる。
不足を探させる。
そして最後に判断するのは自分。
この使い方なら、AIを使うほど思考量が増える。
第九章 模範解答は「正解」ではなく比較材料である
そもそも技術士試験の模範解答という言葉にも注意したい。
論文問題では、数学の計算問題のように唯一の答えが決まっているわけではない。
異なる観点。
異なる課題。
異なる解決策。
複数の答案が成立し得る。
だから模範解答を見るときは、
「これを覚えればよい」
ではなく、
「自分の答案と何が違うか」
を見る。
自分にはなかった観点。
自分より具体的な解決策。
逆に、自分の方が論理的だと思える部分。
そこを比較する。
ホームズ
「模範解答を神託のように扱うのはやめた方がいい」
「では何だ?」
「もう一人の受験者が作った推理だと思えばいい」
そのくらいの距離感がよい。
第十章 AIで模範解答を作るなら、先に自分の答案を保存する
それでも、ChatGPTに模範解答を作らせたいことはある。
比較材料として使えばよい。
その場合、一つ勧めたい方法がある。
AIへ入力する前に、自分の骨子を保存する。
紙でもよい。
Wordでもよい。
まず自分の答えを残す。
その後でAI答案を作る。
そして並べる。
ここで初めて比較ができる。
自分の課題。
AIの課題。
自分の解決策。
AIの解決策。
なぜ違ったのか。
自分が見落とした条件は何だったのか。
逆にAIが問題文から外れていないか。
この比較が勉強になる。
ワトソン
「AIの方が良かったら?」
ホームズ
「理由を調べる」
「自分の方が良かったら?」
「もっと理由を調べる」
ホームズらしい答えだった。
第十一章 「評価してください」だけでは弱い
ChatGPTを添削に使う受験者も増えている。
そこでよくあるのが、
「この答案を評価してください」
という依頼である。
これだけだと、評価基準が曖昧になる。
AIは親切なので、文章全体を見て、
「よく整理されています」
「論理的です」
「さらに具体例を加えるとよいでしょう」
と返すことがある。
だが、それで本番の弱点が分かるとは限らない。
より有効なのは、
「課題と解決策の因果関係だけ評価して」
「観点が抽象、課題が具体になっているか確認して」
「新たなリスクが解決策から生じているか判定して」
「専門技術として弱い箇所だけ挙げて」
と限定することだ。
ホームズ
「質問が曖昧なら、答えも曖昧になる」
技術士試験そのものと同じである。
何を問うかによって、得られる答えの質も変わる。
第十二章 模範解答を作る前に、空白の紙と戦え
日が暮れかけていた。
私は朝、ChatGPTに作らせた答案をもう一度見た。
完成度は高い。
文章もきれいだ。
しかし朝とは違って見える。
そこには私の迷いがない。
試行錯誤もない。
なぜその課題を選んだのか、私自身は知らない。
ワトソン
「ホームズ。これを読むこと自体は無駄じゃないんだろう?」
「もちろん」
「でも最初に見るのが問題なのか」
「そうだ」
私は答案を裏返した。
白紙になった。
その瞬間、妙に難しく見える。
課題を一つ書こうとして、鉛筆が止まった。
ホームズがこちらを見ている。
ワトソン
「さっきまで、ずいぶん簡単に見えていたんだがね」
ホームズ
「それが君自身の実力だよ」
少々腹が立った。
しかし反論はできなかった。
私は問題文をもう一度読み直した。
一行目。
条件。
対象。
役割。
何を求めているのか。
今度はChatGPTを開かなかった。
しばらくして、最初の観点を書いた。
ホームズは何も言わない。
二つ目。
三つ目。
ようやく課題が並んだ。
そこで私はパソコンへ手を伸ばした。
ホームズ
「今度は開いていい」
「何を聞けばいい?」
彼は即答した。
ホームズ
「君の推理のどこが間違っているか、と聞きたまえ」
私は笑った。
完成した模範解答を受け取るより、その質問の方が少し怖かった。
だが、たぶん、その怖さこそ勉強なのだ。

私(匠)は『日本シャーロック・ホームズ・クラブ』の正式会員です。
「日本シャーロック・ホームズ・クラブ(JSHC)」は、1977年に設立された日本最大級のシャーロック・ホームズ愛好家(シャーロキアン)の親睦団体です。全国に約700名の会員を擁し、専門的な研究からファンの交流まで幅広い活動を行っています。
【主な活動と特徴】
・イベントの開催: 毎年春と秋の「全国大会」のほか、東京や軽井沢でのセミナー、月例会などを開催しています。
・出版物の発行: 機関誌『ホームズの世界』や研究書の出版、関連事典の制作協力などを行っています。
・入会のしやすさ: 論文の提出義務などはなく、ホームズを愛する気持ちがあれば誰でも気軽に参加できるウェルカムな雰囲気のクラブです。







