【技術士試験】ホームズの推理:複合災害とは何か(前編)

地震を知らぬ英国紳士が読み解く日本の危機

坂戸市ベーカー街221B:プロローグ:ロンドンに地震は来ない。だが推理はできる。

霧に包まれたロンドンの朝、ワトソン博士は新聞を片手に、暖炉の前で眉をひそめていた。

「ホームズ、日本の技術士試験では『複合災害』というテーマが出るそうだ。能登半島では令和6年1月に大きな地震があり、その復興途中に豪雨が発生した。地震だけでも恐ろしいのに、その後に豪雨とは……。正直に言えば、私たち英国人には地震の怖さが肌感覚として分からない。ロンドンで揺れるといえば、せいぜい馬車が石畳を叩く音くらいだ」

ホームズはパイプを置き、静かに答えた。

「その通りだ、ワトソン君。われわれは地震国に生きていない。だからこそ、感情で語ってはいけない。地震を知らぬ者が地震を語るなら、観察、分類、因果関係、そして証拠によって語るしかない。幸い、それは私の得意分野だ」

「つまり、君は地震を経験していなくても、複合災害を説明できると言うのか?」

「当然だ。犯罪現場に居合わせなくても、残された痕跡から事件の構造は分かる。災害も同じだ。地震、豪雨、土砂災害、津波、停電、断水、感染症。それらを個別の事件として見るから見誤る。複合災害とは、複数の事件が同じ舞台で重なり、互いに被害を増幅させる構造なのだよ」

ワトソンは、技術士試験の問題文を広げた。

「応用理学部門の地質科目では、能登半島の地震後に豪雨が発生した事例を踏まえ、技術課題を三つ抽出し、最重要課題を選び、解決策と将来的な懸念事項を述べよ、と問われている。これは単なる防災知識の問題ではないな」

「そうだ。これは暗記問題ではない。試験委員が見たいのは、複合災害という不確実で複雑な現象を、技術者としてどのように分解し、優先順位をつけ、実行可能な対策へ落とし込むかだ。つまり、問題解決能力と評価能力の試験なのだよ」

第1章:複合災害は「災害の足し算」ではない

ワトソンは紙に書き込んだ。

「複合災害とは、地震、豪雨、津波、噴火、感染症などが同時または短期間に連続して起きること……。なるほど、つまり災害が二つ起きることだな」

ホームズはすぐに首を振った。

「違う。そこが最初の落とし穴だ。複合災害は、単に災害が二つある状態ではない。二つ以上の災害が互いに影響し、単独で起こるより被害を拡大させ、対応を困難にする状態を言う」

「たとえば?」

「地震で斜面が緩む。道路が損傷する。河川護岸が傷む。住民は避難生活を続け、自治体職員も疲弊する。その状態で豪雨が来る。すると、通常なら持ちこたえた斜面が崩れる。通常なら通れた道路が寸断される。通常なら機能した排水施設が機能しない。これが複合災害だ。地震と豪雨を別々に足したのではない。地震が地域の耐力を下げ、そこに豪雨が追い打ちをかける。だから被害が跳ね上がる」

「なるほど。人間で言えば、傷が癒えていない患者に、別の病気が襲いかかるようなものだな」

「まさに医師らしい例えだ。複合災害では、地域そのものが負傷している。地盤、道路、河川、港湾、上下水道、通信、行政体制、住民の生活。これらが回復しきらない段階で次の外力が加わる。だから、答案では『地震後に豪雨が来ました。大変です』と書くだけでは幼稚なのだ。どの機能が弱っており、次の災害で何が破綻するのかを示さなければならない」

ワトソンはうなずいた。

「では、技術士試験では、複合災害を『複数の災害の組合せ』ではなく、『先行災害によって脆弱化した地域に、後続災害が作用して被害と対応困難性が増す現象』として捉えるべきなのだな」

「その表現なら合格答案に近づく。特に能登半島のように、地震と豪雨の間に時間間隔がある場合が重要だ。地震直後の津波や火災のような連鎖型とは違う。地震の影響が残ったまま、発生原因の異なる豪雨が後から重なる。ここに試験問題の核心がある」

第2章:複合災害には時間がある

「ホームズ、私は複合災害というと、東日本大震災のように地震、津波、原発事故が一気に起きるイメージを持っていた」

「それも複合災害の一形態だ。しかし、試験で注意すべきなのは、時間の扱いだ。消防庁系の資料では、複合災害を検討するうえで、災害の前後関係や時間間隔を固定して考える必要があると整理している。つまり、いつ何が起きたかが重要なのだ」

「時間間隔か。地震の直後に豪雨が来る場合と、数か月後に来る場合では違うわけだな」

「当然だ。地震直後なら救助活動の真っ最中だ。消防、警察、自衛隊、自治体職員、医療機関のリソースはすでに限界に近い。そこに豪雨が来れば、救助と水害対応を同時に迫られる。一方、数か月後なら応急対応はある程度終わっているかもしれない。しかし、道路、斜面、河川、上下水道、避難生活、仮設住宅、地域経済は完全に回復していない。この場合は、残存する脆弱性が次の災害を拡大する」

「能登半島の問題文は、まさに後者だな。令和6年1月の地震から同年9月の豪雨まで時間がある。だが復興途上だった」

「その通り。だから答案では、まず時間分類を意識する必要がある。地震が先に起こり、復旧途上で豪雨が後から来た。これを曖昧にせず、『先行地震により地盤・斜面・道路・河川施設・地域防災体制が脆弱化した状態で、後続豪雨が作用するケース』と定義する。ここを明確にすれば、設問(1)の課題抽出がぶれない」

ワトソンは、問題文の余白に「時間」と大きく書いた。

「なるほど。複合災害では、災害種別だけでなく、空間と時間を押さえる必要があるのだな」

「よろしい。さらに言えば、同じ地域が重ねて被災するのか、同じ行政区域内の別地域が同時に被災して対応資源が分散するのかも重要だ。前者は被害そのものが激甚化する。後者は人員、資機材、輸送、情報収集のリソースが不足する。試験問題では、どちらを主軸にするかを見極める必要がある」

「つまり、『被害の拡大』と『対応の困難化』の二つを常に見よ、ということか」

「その二つが複合災害の本質だ。片方だけでは足りない。地質科目なら、斜面崩壊や土砂流出のような自然現象の拡大を書く。しかし、それだけでは災害対応の困難性が弱い。道路寸断、孤立集落、調査困難、応急復旧の遅れまで書く。そこまで踏み込めば、問題解決能力が見える」

第3章:能登半島型の複合災害で何が怖いのか

ワトソンは地図を眺めながら言った。

「能登半島のような地域では、地形も大きく関係しそうだな。半島で山がちで、道路も限られる。そこに地震と豪雨が重なると、孤立が起きやすい」

「その推理は正しい。複合災害を答案で扱うときは、一般論で終わってはいけない。地形、地質、土地利用、交通条件、人口構成を入れると専門性が出る。能登半島型なら、斜面地、谷地形、海岸沿い道路、中山間集落、老朽インフラ、過疎高齢化、復旧途上の仮設道路や仮設管路といった条件が重要になる」

「では、地質科目なら、まず斜面の問題を書くべきか」

「有力だ。地震によって斜面内部に亀裂が入り、表層崩壊や深層崩壊の素因が高まる。岩盤の緩み、地すべりブロックの再活動、崩積土の不安定化、斜面脚部の洗掘、地下水位上昇。そこに豪雨が加われば、間隙水圧が上昇し、せん断抵抗が低下する。つまり、豪雨単独では発生しなかった崩壊が発生し得る」

「専門用語が増えてきたな。技術士答案らしくなってきた」

「ただし、専門用語を並べるだけでは不十分だ。設問(1)は『観点』と『課題』を求めている。観点は抽象的な見方、課題は解決すべき具体事項だ。たとえば、『斜面安定性の観点』と書くだけでは観点で止まっている。課題は『地震で損傷した斜面の不安定化箇所を早期に把握し、豪雨時の崩壊危険度を評価すること』まで具体化する必要がある」

ワトソンは赤ペンを持った。

「他には何がある?」

「河川・土砂動態の観点がある。地震で崩壊した土砂が渓流や河道に供給される。豪雨でそれが再移動し、河床上昇、流木閉塞、土砂・洪水氾濫を引き起こす。環境省系資料でも、豪雨に伴う土砂災害が下流域の洪水氾濫を助長し、河床上昇や流木の堆積が被害拡大要因になることが示されている。ここは複合災害らしいポイントだ」

「つまり、山で起きた崩壊が、川の洪水を悪化させるのか」

「そうだ。事件で言えば、犯人は一人ではない。斜面崩壊、土砂供給、河床上昇、橋梁閉塞、越水、氾濫が共犯関係を結ぶ。これを『土砂災害』と『洪水』に分けてしまうと、真相を見逃す」

「三つ目の課題は?」

「情報・対応体制の観点だ。地震後は道路が壊れ、通信も不安定で、現地調査が難しい。豪雨前に危険箇所を把握できなければ、避難判断も応急対策も遅れる。したがって、航空レーザ測量、衛星SAR、ドローン、地上踏査、雨量・水位計、斜面変位計などを組み合わせ、危険箇所を優先順位化する課題がある」

ワトソンは息をついた。

「複合災害の答案は、かなり複雑だな」

「複雑だが、構造は単純だ。先行災害で何が弱くなったか。後続災害で何が引き金になるか。その結果、どの被害が拡大し、どの対応が困難になるか。これだけだ」

第4章:設問(1)は「三つの観点」を外すな

「第一は、斜面・地盤安定性の観点。課題は、地震動により亀裂や緩みが生じた斜面、地すべり地、盛土、切土の不安定化箇所を抽出し、豪雨時の崩壊危険度を評価することだ。

第二は、流域土砂動態の観点。課題は、地震で発生した崩壊土砂、流木、河道閉塞、河床上昇が豪雨時に下流へ移動し、土砂・洪水氾濫を引き起こす危険性を把握することだ。

第三は、情報収集・避難支援の観点。課題は、道路寸断や通信障害が残る復旧途上地域において、リモートセンシングと現地確認を組み合わせ、危険情報を住民避難と応急対策へ迅速につなげる体制を構築することだ」

「すっきりしているな。しかも、それぞれ観点と課題が対応している」

「ここで大事なのは、三つをバラバラにしないことだ。斜面、河川、情報はつながっている。地震で斜面が緩み、豪雨で崩れ、土砂が河道を埋め、道路が途絶し、避難が遅れる。この連鎖を見せる。複合災害の答案では、連鎖を見せた者が勝つ」

ワトソンは感心したように言った。

「英国の探偵が、日本の災害論文の骨格を作ってしまった」

ホームズは微笑んだ。

「推理とは、見えない関係を見抜く技術だ。複合災害もまた、見えない関係の問題なのだよ」

前編の最後に、ホームズはこう締めくくった。

「複合災害を『災害が二つ起きること』と書く受験生は、入り口で止まっている。合格答案はその先へ行く。地震が何を弱らせたのか。豪雨が何を顕在化させたのか。被害と対応困難性がどのように増幅したのか。それを専門分野の言葉で描くのだ」

ワトソンは答案用紙を閉じた。

「後編では、最重要課題の選び方と、解決策、そして設問(3)の将来的な懸念事項だな」

「その通りだ。設問(3)こそ、多くの受験生が一般論に逃げる場所だ。そこにこそ、ホームズ流の推理を使う価値がある」

この記事を書いた人

匠 習作

代表:匠 習作(たくみ しゅうさく・本名は菊地孝仁)
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