【国土構築】小田急小田原線の慢性的な交通渋滞の解消に向けて ~沿線まちづくりとエンジニアたち~

技術士は歴史に学ぶ ~偉大な成果で信頼と安心を~

慢性的な交通渋滞の解消と輸送サービスの改善を目的とし、鉄道と道路を連続立体交差化した、小田急小田原線の複々線化。計画から50年、工事着手から30年かけて実現したプロジェクトの事業化には、現代社会ならではの問題が多発した。

高架化反対運動への対応、市街地における難工事への取組みなど、エンジニアたちが直面する課題は山積みであった。しかし、どのような問題であったとしても、課題解決に向けて果敢に挑むエンジニアたちがいた。

小田急線の輸送力増強の背景と経緯

1927(昭和2)年に新宿~小田原間を開業させた小田急線は、経営基盤が弱いことに加え、昭和恐慌に見舞われたこともあり、苦しい経営が長く続いた。

急激な輸送人員の増加とその対応

しかし、戦後の急激な復興にあわせて状況は一変。輸送人員は順調に増加を続け、1955(昭和30)年度からの30年間に、沿線人口は2.3倍、輸送人員は5.3倍に急増した。

そこで、新宿駅の大改良や車両の増備といった輸送力の増強が、急ピッチで行われる。これにより、下北沢到着時の混雑率上昇は食い止めたが、200%を超える状態が長く続く。

国レベルでの整備計画と都市計画決定

一方、国レベルでの鉄道の整備計画では、1962(昭和37)年に策定された都市交通審議会第6号で、現在の千代田線の原型にあたる路線が答申される。

その後、運輸省や建設省、東京都と協議を重ねた結果、1964(昭和39)年に代々木上原~喜多見間の複々線化が、都市高速鉄道第9号線として都市計画決定された

長引く議論と高度成長による赤字

将来の鉄道輸送のあり方について、1960(昭和35)年頃から社内での検討は始まった。しかし、当時の日本は高度成長の真っただ中で、慢性的な赤字状態となっていた。

国の公共料金抑制策と「反対派」

国の公共料金抑制策も大きな壁になり、巨額の投資を伴う複々線化などのビックプロジェクトには、手も足も出せない状況であった。さらに、「反対派」という強い逆風もある。

1969(昭和44)年9月、「地下化」を主張する地元住民による協議会が立ち上げられたのだ。

千代田線の建設と複々線化へ

このような状況であっても、千代田線の建設は着々と進む。1978(昭和53)年3月には、代々木上原まで延伸し、小田急線との相互直通運転も開始された。

さらに、現在の小田急線の状態に問題があると考えた狛江市は、大蔵省との予算交渉や反対派の説得にあたる。そして、1985(昭和60)年、都市計画決定にこぎつけたのだ。

首都圏輸送改善の目玉として

小田急は、1984(昭和59)年、増線のための「複々線事業部」を立ち上げる。

また同じ時期に、鉄道の輸送力増強工事を促進するために、「特定都市鉄道整備促進特別措置法」が制定される。この中でも、小田急の複々線化は注目を集める。

30年に及ぶ工事の始まり

複々線化に必要な資金の確保や狛江市の働きかけもあり、1989(平成元)年7月、工事に着手。これが、小田急線の連続立体交差・複々線化の30年に及ぶ工事の始まりであった。

それは、見切り発車の工事開始であった。しかし、社長以下全社員が、「何年かけても複々線化を行う」という不退転の決意で臨むのであった。

連続立体交差事業と複々線化事業の一体的な事業

この事業では、東京都が都市計画事業として行う連続立体交差事業(連立事業)と小田急電鉄の複々線化事業が一体的に実施された。
1969(昭和44)年、建設省と運輸省が締結した協定により、連立事業に要する費用は都市側が約9割、鉄道側が約1割負担、複々線化は全額鉄道側が負担している。

また、構造形式は、地形や費用の面を総合的に検討して決定。さらに、環境影響評価も実施。環境への影響が少ないことも確認された。

都市計画決定・環境影響評価の段階

高架反対運動へは、「対話」で取り組んだ。東京都、世田谷区、小田急電鉄が連携して、住民説明会をきめ細かく実施。合計18回の説明会に、延べ約4,000人の住民が参加した。

説明会では反対意見が多く述べられたが、賛成意見もあった。さらに、都市計画法による意見書では賛成が7割以上を占め、1993(平成5)年2月、都市計画決定が告示された。

都市計画事業認可の段階

さらに、反対派住民との話し合いは重ねられた。1993(平成5)年の五十嵐建設大臣への陳情を機に、反対派と東京都とが互いの事業費の算定条件等について5回の話合いを行った。

しかし、反対派の主張する事業費が過少に算定されていることが判明。1994(平成6)年4月には事業認可申請を行い、同年6月3日、事業認可を受けた。

裁判の段階と工事着手の段階

1994(平成6)年、国の事業認可処分取消請求が提訴され、最高裁まで争われた。そして、2006(平成18)年、都市計画決定と事業認可の適法性が確認され裁判は終了した。

裁判に並行して取り組んだ「工事着手の段階」でも、反対派の妨害があった。そのため、世田谷区報などを活用し、1994(平成6)年、経堂地区での工事が着手された。

工事推進と反対運動への対応

経堂地区は、閑静な住宅街として有名な成城を中心に、文化人・著名人も多い。そのため、一部の反対派は社会的・環境的視点からの反対意見を、マスコミを通じて社会に発信した。

多数の住民は事業に賛成だったものの、着手に先立つ工事説明会では反対派の妨害にあって十分な説明ができない。そのため、個別対応に切り替えて説明を行っていった。

鳴り止まない反対派の声と阪神淡路大震災

1994(平成6)年の着手以降も、反対派からの工事中止要請の電話が鳴り止まなかった。さらに、1995(平成7)年1月17日には、阪神淡路大震災が発生する。

高架橋倒壊の映像を見た沿線住民に不安感が蔓延し、反対派は更に活発化。そこで、実際に被災地の現地踏査や耐震性の検討を行い、当面の措置を工事計画へ反映させた。

1日も早い複々線化完成への強い思い

依然として反対運動が盛んな中、粘り強い交渉などによって用地買収への協力を求める。買収後には虫食い状態であっても高架橋を構築し、36回もの線路切替を行うこととなった。

また、工事進捗を印象付けるために、車両基地の高架橋についても工程を前倒して築造した。門型クレーンの設置によって材料運搬をスムーズにするなど、効率的な工事計画を立案した。工事を進めながら住民との対話を重ねる中で、反対派グループとの意見の違いは裁判を通じて双方主張することとした。

また、環境グループに対しては、高架区間の鉄道騒音や事業への理解を得るべく、自治会や商店街、マンションなどの会合等に出向き、根気よく説明を重ねていった。

気づかされた地元民の不安

この対応の中、工事により地域が変化することに不安を抱いている住民が多いことに気付いた。そこで、将来の姿を積極的に情報発信し、対話を重ねることでの不安解消を図った。

また、合同で騒音測定を行うなど、住民の不安に寄り添いながら工事を進めることで信頼関係を深めた。将来の街づくりへの意見が活発になり、事業の推進が図られることとなった。

さまざまな分野における工事の成果

地元との積極的な対話や精力的な工事の推進により、当初計画の10年を切る9年11ヶ月で完成を成し遂げる。また、環境対策を積極的に実施し、列車の走行音低下も実現できた。

経堂地区では、反対運動の中でいかに工事を進めるかが課題であった。しかし、「住民との対話」と「徹底した工事の推進」の両輪で事業を推進することで、解決を図れたのだ。

日本初・営業線直下における4線地下化

狛江地区および経堂地区の複々線化を経て、最後に残った下北沢地区では、営業線の直下において地下化が行われた。1期工事では、地上を走る営業線の直下で地下トンネルおよび一部駅舎を構築して営業線の地下化を行った。さらに、地上の9ヵ所の踏切を除却して、連続立体交差化を行った。

続く2期工事では、地下を走る営業線の直上で開削工事により地下トンネルを構築。4線地下式による複々線化を実現させた。

営業線直下でのトンネル施工

1日当たり上下線で約800本、下北沢駅利用者数13万2千人の小田急線に影響を与えることなく、双設シールドトンネルの施工を進める必要があった。

営業線鉄道直下の掘削となるため、軌道工常駐により軌道検測を実施。鉄道の安全を確保しながら慎重に施工を続け、2009(平成21)年11月、シールド掘進が完了した。

下北沢駅と京王交差部

下北沢駅部では、地上を走る営業線を仮受けし、その直下を開削工事にて躯体構築した。さらに、シールドを切拡げて駅ホームの構築を行い、9年の歳月をかけて地上を走る小田急線の地下化を完了させた。

また、地上を走る小田急線と高架で京王井の頭線が交差する京王交差部は、営業線を仮受した状態での躯体構築となった。そして、2018(平成30)年3月3日、複々線化が完成した。

複々線化事業の問題点と効果

人口密集地において大規模な工事を施工するということには、大きな問題があった。そして、それを解決することで、多くの効果を得ることができた。

人口密度地での問題点と解決法

住宅密集地での大規模工事や夜間工事には、地下でどんな工事をやっているかわからないという住民の不安や、大型車両の通行に対する周辺住民の不安があった。

このような問題を解消するため、地域の方々への積極的な工事情報の提供や大型車両通行の安全確保を行った。そのため、交通事故0、第三者災害0で無事に工事を完了することができた。

複々線化と連続立体交差事業の効果

複々線化の事業によって、混雑率は大幅に低下。また、急行と各駅停車が別の線路を走ることで、大幅に所要時間が短縮された。これらは、鉄道輸送の安定性の向上にもつなげられた。

また。連続立体交差事業によって、多くの踏切が廃止され、渋滞緩和はもとより鉄道と道路の安全性が大幅に向上した。さらに、駅への交通アクセスも格段に向上した。

まとめ

人々の生活を豊かにするインフラ整備であるが、全ての人がそのインフラ整備に賛同するとは限らない。反対する人たちには、その人なりの考えや不安がある。そのような問題を解決するためには、地元民との関係を構築することが必要である。これらには、国や地元自治体の後ろ盾や支えが必要となる。しかしそれ以上に、エンジニアが成し遂げる偉大な成果は、多くの人たちの信頼感や安心感を勝ち得ることができるのである