技術士は歴史に学ぶ~~世界の中の近代日本土木史~~
近代日本土木について語る上で、「これだけは外せない」という要素はたくさんある。歴史的要素や地理的要素、そして人的要素。さらに、世界とのつながり。そして、それらが必然的に偶然的に絡みあうことによって、日本の近代土木が実現した。
それらの要素のいずれかが欠けていたとしたら、世界に誇れる現代日本のインフラは実現することがなかったであろう。
現在の「エンジニア」という言葉の一般的な使い方と異なり、14世紀初めに生まれた「engine’er」という言葉は、文字通り「エンジンを操作する人」であった。さらにさかのぼれば、そのエンジンとはカタパルトのように、戦争で使用される機械的な仕掛けを指していた。
日本国内では「工学(engineering)」を指す(欧州より広義)。
エンジニアリングは「工学(engineering)」を意味しており、物を生産する技術や研究自体の総称となっている。
厚生労働省の「職業能力評価基準」では、エンジニアリング業は「海外及び国内における各種プラント・施設(化学、鉄鋼、電機、通信、建設等)の設計・建設並びにそれらに伴う機器資材等の調達・輸送等を行う業種」と定義されている。なお、理学を含んで使用されるため、欧州より広義と考えられる。
特に大学の工学部は、工学部なのか社会科学の分野なのか分からない名称にもなっている。
技術士試験でも、総合技術監理部門は、経済学、社会学、心理学を含んでおり、「工学」という言葉の意味はさらに広がっていると言ってよい。
海外におけるCivil Engineerの誕生
海外におけるcivil engineerの誕生は、全世界における市民生活の向上に大きく寄与することになった。
「civil engineering」とは、軍事兵器に関する技術者を意味していた「engineer」に対する言葉になる。非軍事的であり非宗教的なものであり、市民社会に自然の理法を適合させ、公益の増進を図るための建設技術全般を行った技術者を指すのである。
「エンジニア」の意味合いは、橋や建物といった平和利用の構造物に対する設計技術分野が発展するにつれて、どんどん変化していった。市民生活に必要とされる土木工学が、軍事利用を上回るようになり専門分野の数が細分化し、拡大していったからだ。
civilは日本語で、「市民の~」という意味だ。「civil」は「シビル」と読む。Civilは、「市民の、公共的な」という意味がある。
土木で扱う構造物は、橋梁やトンネル、ダム、道路など、社会的なものである。よって、土木工学は「市民工学(市民のための工学)」ともいえる。
私自身は、エンジニアリングは「社会に役立つ」を目的とした技術開発・発明・改善であると思っていいる。
つまり、エンジニアは、「社会に役立つ」を目的とした技術開発・発明・改善を行う人だ。
英国のCivil Engineer
英国でのcivil engineerに関して語る上で、産業革命という出来事を欠かすことはできないだろう。
17世紀に起こった、歴史に残る数々の革命を経た英国には、世界に先駆けて市民社会が形成されていた。さらに、18世紀には市民社会が必要とする近代土木のあり方を多角的に提示するcivil engineerという新たな職業が生まれる。そして、1828年、その職業は国によって正式に認められた。
1818年には、世界で最初の土木学会がつくられ、研究の推進と技術の普及を行った。この活動は実を結び、他国に比べ遅れがちであった英国における土木の専門教育機関の整備を促進し、高度な専門性を持ちながら、実験と現場を重視する優れたcivil Engineerを輩出していったのである。
フランスのCivil Engineer
フランスでのcivil Engineerに関してだが、実は英国よりも早い時期に誕生している。非軍事的であり非宗教的なものという意味合いだけでならば、その誕生は絶対王政期にまで遡る。
道路の整備と管理を国家が所轄することで国富の増大に結びつけようといった意図により、1716年には軍事目的ではない土木技師団が設立された。さらに、土木技師を養成する世界初の国立高等教育機関が設立されたのだ。
しかし、実技よりも理論が重視され、専門性よりも総合性を重んじる気風は、産業の近代化という点では他国から遅れをとる結果を招いた。この反省を踏まえ、1829年には新たなる技術者養成教育機関が設立され、英国と同じ意味合いを持つ、フランスのcivil Engineerが誕生するのだ。
英国とフランスの大きな違い
当時の土木工学の分野での英国とフランスの大きな違いは、最も古い歴史をもつ土木建築物である道路に現れている。英国とフランスでは、対照的な道路整備が行われているのだ。民間会社による有料道路の充実が図られていた英国に対して、フランスではパリ中心型の放射状ネットワークが、国家によって建設された。
また、産業革命や市民革命後の都市人口の急激な増加により、都市環境の悪化が顕在化していった。ここでも、英国とフランスの違いを知ることができる。
英国では、ロンドンの労働者住宅街における住環境の悪化は顕著であった。このことは、国土整備に邁進していた土木技術者を、都市整備に関わらせる大きなきっかけとなった。
一方、フランスのパリでは、産業化時代に対応した大規模都市整備により、再組織化された都市空間作りを成功させていた。このことにより、パリという都市は経済と文化の両面の充実を図る新たな都市再生モデルを、世界に提示することができるようになっていたのである。
画期的な新技術 ~鉄とコンクリート~
西洋における構造物の近代化において重要な役割を果たした素材が、鉄とコンクリートであった。それらを用いることによって、新たな規模と強度をもつ構造物を建設でき、国土と都市の近代化が初めて可能になったのである。
鉄を使用した大規模で独創的な構造物が各地で建設された19世紀。さらに、RCの技術基準が定められた20世紀の初頭。従来の建設材料に比べ強度と自由度の高い素材は、土木デザインに新たな可能性をもたらした。
これらの事業を担った土木技術者は、新たな構造技術や理論を総合することで、近代文明の先駆者として社会から広く注目を集めるようになった。
日本国土の地理的特性と歴史
世界で発展を遂げてきた土木技術だが、それをそのまま日本の土木に応用できたわけではない。
日本特有の地理的特性が、大きなネックになったことは当然である。さらに、日本の近代化が急激に進んだこの時代の歴史的出来事や政治的な思惑も、日本の土木業界に大きく影響していたのである。
国土面積が狭く森林面積の割合が高い日本では、急峻な地形を流れる急流な河川が多い。これにプラスして年間を通じて降水量が多いことから、水害が起きやすくなっている。
さらに、北海道南部から中部の山間部、中部から伊豆諸島にかけて火山が集中していて、地震も多く発生する。
また、日本は他の先進国と同じように、人口の増加率が高かった。しかし、都市人口の減少がみられていた欧米とは反対に、日本では都市人口も増加し続けていったのである。
このことからも、土木技術による堅固なインフラを整備する必要性が、日本では高まっていった。
日本の土木技術の進化と教育
明治維新という歴史上の大きなターニングポイントによって、日本の土木技術の近代化が進んでいった。そして、その明治維新が起こるきっかけにも、世界でのできごとが大きく関係しているのである。
そんなアジアヘの列強進出に脅威を感じた幕府は、西洋からの強力な圧力を背景として、日本の近代国土整備を始動させた。まずは、西洋諸国の侵略に備えた軍事施設の充実のため、製鉄所の整備。さらに、多くの日本人を海外に留学させ、技術の修得と近代技術者の育成を進めていくことになった。
幕末から明治にかけて日本政府や各府県などによって雇用されていた外国人が、「お雇い外国人」である。
破格の好待遇で招致されたお雇い外国人の数は、明治元年から22年までの間には2299人にも上った。そのうち土木関連の雇用は146人であり、英国人の割合が高くなっている。
政治機関によって雇用されていた彼らは、日本の「殖産興業」や「富国強兵」に対して大きく貢献することとなった。
しかし、それ以上に大きな日本土木業界への貢献が、日本人技術者の育成である。
多くの日本人技術者が、お雇い外国人と事業を共にした。文化や経験が違うお雇い外国人との関わりには、困難も多かった。それでも、日本国内で起こっている実際の課題を解決する方法を授けられ、日本人技術者がさらに発展させていったのだ。
世界と日本の土木技師教育
日本における土木技師の養成に多大な貢献をもたらした工部大学校も、世界の土木技術者教育の影響を大きく受けている。
この工学校を設立し教頭として実質的な校長業務を行ったダイアーは、スコットランド出身だった。
19世紀の初頭、フランスでは、理論と実技、そして一般教養をバランスよく学べる教育機関を設立し、フランス産業の近代化が図られていた。それに危機感を覚えたのが、英国である。
イギリスの現場教育に主眼を置く従来の教育方式の改善と、理論習得の重要性を訴えたのだ。その改善の先頭に立った人物がランキンであり、ランキンに学んだのがダイアーである。
こうして、理論と実技を総合した工部大学校のカリキュラムが、効率よく成立していくことになった。
まとめ
近代日本土木の歴史を振り返ってみると、橋やダム、鉄道、港湾、都市など、関連分野が多岐に渡っている。また、明治維新による日本における土木の近代化は、ごく短期間に行われた。さらに、極めて広域かつ多分野で同時に展開した点も特徴になっている。そのような近代日本土木の発展に寄与した近代土木の技術者には、社会的・国家的課題を解決したいという熱い思いが共通していたのである。技術士はその系譜に繋がっている。