新版『論文の教室』レポートから卒論まで ジャンルを絞った論文特化型の文章術
今回は、全部で4冊の本を比較的詳細にご紹介しました。
どの本も、技術士試験合格を目指す人にとって役立つ本であることは間違いありません。
できれば、何度も読んで理解を深めてください。
今回、ご紹介する『論文の教室』は、NHKブックスから出版されている本です。
2010年に旧版が出版されていますが、2012年には新版にはっています。
累計28万部出ていますから、人気がある本です。
さらに、今年2022年1月25日に、最新版が出るようです。
これは、もちろん、内容の確認は出来ていません。
このブログは、22日に公開されますから、予約してでも、この本は読んでください。
私も予約しました。
著者の戸田山先生は名古屋大学の教授です。
アマゾンの紹介ページによれば
戸田山和久 Todayama Kazuhisa
1958年東京都生まれ。89年、東京大学大学院人文科学研究科単位取得退学。専攻は科学哲学。現在、名古屋大学大学院情報学研究科教授。
著書に『科学哲学の冒険』(NHKブックス)、『「科学的思考」のレッスン』『恐怖の哲学』(以上、NHK出版新書)、
『論理学をつくる』『科学的実在論を擁護する』(以上、名古屋大学出版会)、『知識の哲学』(産業図書)、『哲学入門』(ちくま新書)、『教養の書』(筑摩書房)、
『思考の教室』(『新版 論文の教室』の姉妹編、NHK出版)など。
科学哲学や、技術者倫理の研究家です。
『論文の教室』をご紹介
文章がうまい。
こう、ひとくちに言っても様々なうまさというものがあります。
例えば小説を書くのがうまいですとか、報告書を非常にわかりやすく簡潔にまとめるですとか、
言ってみればこれら全ても『文章がうまい』とざっくりまとめてしまえるものです。
そして、その中の一つにあるのが『論文』というジャンル。
そう、やはりうまい論文を書けるというのも『文章がうまい』という言葉にまとめてしまえるものです。
しかし、論文とはかなり特殊な文章のジャンルであることをどれほど知っている人がいるでしょうか。
これから大学にはいる人、在学生、卒論間近の人。
そして、論文を書いて生きていこうとしている社会人に至るまで、一体『論文』とはなんぞやを知るためには必携の作品、それが本著です。
文章はジャンルによってぜんぜん違うものである
文章には様々なジャンルが存在します。
小説、随筆、報告書、決算書に公文書……など、枚挙に暇ありません。
ではこの文章のジャンルというのは一体なぜ存在するのか。
それは、言うまでもなく文章を書く目的です。
小説や随筆であれば、ある種のエンターテインメント的な目的をもって、
報告書や決算書は業務上の利便性がその目的であり、公文書は権威付けが目的であるかもしれません。
そしてそれらは全て、その書き方から作法に至るまで全く違うものなのです。
いかに漱石の文体であっても、そんな文体で決算書を書かれたらたまったものではありませんよね。
「見えない数字にこそ、心が踊るとわたしにはおもわれ」なんて決算書が届いたら喧嘩になります。
そう、文章はジャンルによってぜんぜん違うものなのです。
論文はさらに異質な文章である
では、本著の中心的素材である論文はどうでしょう。
実は、数ある文章のジャンルの中でも論文というのはルールと形式がびっちりと決められている、
ある意味異質な文章と言っても過言ではないのです。
言うまでもなく、その理由はその目的。
すべての文章のジャンルは目的別になっていると考えるならば、論文の目的は自らの論を説明して、
その上で主張し、その正当性を高めていくためのツールです。
しかも、学術というころまた特殊なカテゴリー内の話で。
実は、本著でも述べられている論文が書けない(作中ではヘタヲ君というキャラ)人というのは、
論文が特使湯な文章であるい、そのルールを全く理解していないということなんですね。
そして本著は、そのルールを教える、という本なのです。
賛否は分かれる茶番形式
まず、本著の紹介を本格的に始める前に、本著の構成上の特徴を書いておきます。
本著は、作者である人物(つまり著者戸田山氏)と、
論文が下手な青年であるヘタ夫君というキャラクターの対話形式で書かれています。
もちろん、それは演出としてありなのでしょうが。
人によってはかなり読みにくい、というか、繰り返される茶番が原因で内容が入ってこない可能性まであるくらいには変わった形式になっています。
もちろん、文章の書き方を指南する本ですので、文章を読むのが不得意な人向けの方策なのでしょう。
ただし、人によっては少し難があるかもしれないくせの強い文章ですので、お読みになる際はお気をつけください。
まあ、こういう文章のほうが、ある意味「売れる」のだとは思いますが。
例えば、冒頭の「はじめに」を紹介しましょう。
はじめに
本書の独自性とねらい
世の中には数えきれないほどの「論文の書き方本」がある。そうした類書と本書の最も大きな違いはつぎの点にある。
それは、これら無数の類書の中で、この本だけが私によって書かれたということだ。
この違いは読者のみなさんにはどうでもいいことかもしれないが、私にとってはとても重要である。
なぜなら、売れゆきが私の経済状態にかかわりをもつのは本書だけだから。
というわけで、私はなるべく多くの方々に読んでいただきたいと念じつつ本書を執筆した。
もっとストレートに表現するならば、売らんかなの精神で書いた。……さて、本を売るにはどうしたらよいだろう。
タイトルを『ハリー・ポッターと魔の論文指導』にして、腰巻きに「ワーナー・プラザース映画化決定―」と印刷してもらえばよいのではないかという名案も浮かんだ。
そうすれば、間違って買う人だけでも相当の数に及ぶのではないか。しかし、この計画はNHK出版の賛同を得ることができなかったので頓挫した。~~中略~~
キミの気持ちはよくわかる。私は大学で教えながら、科学哲学を研究している。「学者の端くれ」と言ってもいい。
カッコよく言うと、フイロソフアー= 「知を愛する者」だ。
でも、自状すると、私は論文を書くのが大嫌いだ。他人の本や論文を読んだり、議論をしたり、研究をしたり、人前で発表したりするのは本当に楽しい。
この道を選んでよかつたと心から思う。
こんなふうに、研究することじたいは好きな私だけれども、さてその成果を論文にまとめましょうという段になると、途端に気分が暗くなる。
なぜ、石油王やベルリン・フイル首席指揮者の道を選ばなかったのか悔やまれるほどだ。
しかし、論文を書かないと学問の世界で生きていけないから、仕方なしに書く。
つまり、知を愛しているだけじゃダメだよと言われるので、愛の燃えかすを活字にして暮らしているというわけだ。
この手のジョークが苦手な方には向かないかも知れません。
私は、大好きです。
本著の賢い読み方
内容的には非常に有用な内容が書かれている本著。
特に、論文というものがどういうものなのかを全く考えずに今まで論文を書いてきた人や、
そういった物を全く知らずに今後論文を書く環境に身を置く予定の人には、バイブル的存在にもなりえます。
前述のとおり、論文というのは一定のルールがかっちり決まっているものです。
要はそのルールを知っているのか、そのルールに従って良い論文を作成するためにはどんなことに留意すればいいのか、
というのを知っているかどうかで大きく違うのです。
そして本著にはそれが余すところなく書いている。
個人的には、論文の種類や傾向によって振れ幅のある場合もあるだろうとは思いますが、
基本的なことについては本著の言うとおりです。
ただ、これも前述のとおり、若干読みにくい。
なので、ここでは本著のおすすめの読み方を提案しておきます。
①本著冒頭(Ⅰ 1章の1 ヘタ夫君登場)にあるヘタ夫君の論文を読む。
②本著末(Ⅳ ここまでマシなったヘタ夫の論文)にあるヘタ夫くんの論文を読む。
③両者の違いや読みやすさを比較した上で本文内容に入る。
④逐一ヘタ夫くんの論文のビフォーアフターを見比べながら各章の内容を理解していく。
この順番が良いだろうと思われます。
というのも、対話形式になっているのと、なにか著者がユーモアを発揮しようとしているせいで、
非常に目的がわかりにくくなっているからなんですね。
なので、一度目的意識をつけて、その上で呼んでみると以外にスッキリ来るかもしれません。
内容には有用なことが書いてあるのは間違いないのですから。
冒頭にループしますがこれは『論文』の書き方です
さて、話はループしてしまいますが、本著は論文の書き方についてかいた本です。
ですので、本著を呼んでいる人の中には、そんな迂遠な書き方をしたほうがおかしいのではないか?とか、
文章としてかなりわかりにくいのではないか?と感じる人もいるでしょう。
しかし、これは論文の書き方であるとしっかり認識すれば、納得は行くはずです。
と、同時に、単に文章力をあげようとしてこの本を手に取った方は要注意です。
本当に繰り返しになりますが、これは論文の書き方であり、論文というのはジャンル的にはかなり特殊なジャンルの文章です。
大胆に言えば、本著は、論文以外の文章を書く上で役に立つ内容ではありません。
論文の書き方というのはほとんど『専門書』の扱いであること絵を十分理解しておきましょう。
まあ、だからこそ、論文が必要な人は絶対に書き方を知っておかなければならず、本著の有用性はそこにあるというわけなのですが。