【技術士試験】ホームズの推理:なぜ知識のある技術者が不合格になるのか(前編)

知識量では測れない「社会人受験」という難関

プロローグ 知識があるのに、なぜ書けないのか

坂戸市、ベイカー街221B

冬の夜だった。

ワトソン博士は、暖炉の前で一枚の答案を読んでいた。答案には、多くの専門用語が書かれている。技術的な誤りも、目立っては見当たらない。

それにもかかわらず、評価は低かった。

ワトソン博士
「ホームズ、どうにも納得できない。この答案を書いた受験者は、長年現場で働いてきた技術者だ。専門知識も豊富だし、業務経験も十分にある。それなのに、なぜ合格答案にならないのだろう」

シャーロック・ホームズ
「君は、知識があれば技術士試験に合格できると思っているのかい?」

ワトソン
「少なくとも、知識の少ない人よりは有利だろう」

ホームズ
「もちろん有利だ。しかし、有利であることと、合格できることは同じではない」

ホームズは答案を手に取り、数行読んだ。

ホームズ
「この受験者は、多くのことを知っている。しかし、問題文に必要な知識を選べていない。課題と原因が混ざっている。解決策は列挙されているが、何を解決するのかが不明確だ」

ワトソン
「知識はあるのに、使い方を誤っているのか」

ホームズ
「そのとおりだ。技術士試験の難易度は、知識の量だけでは測れない。むしろ、知識のある技術者ほど、自分の知識に足を取られることさえある」

第1章 合格率だけでは、試験の難しさは分からない

ワトソン
「技術士試験が難しい理由は、単純に合格率が低いからではないのか?」

ホームズ
「合格率は結果を表す。しかし、なぜ不合格になるのかまでは説明しない」

合格率が低い試験は難しい。

これは間違いではない。

しかし、技術士試験の難しさを数字だけで説明すると、本質を見失う。

受験者の多くは学生ではない。

三十代から四十代を中心に、組織の第一線で働いている。現場を任され、部下を持ち、顧客や発注者との調整を担う。家庭では、育児や介護などの役割を抱えている人もいる。

試験勉強だけに集中できる環境ではない。

ホームズ
「学生の試験勉強なら、試験を生活の中心に置くこともできる。しかし、社会人にとって、試験は仕事や家庭の外側に追加される新しい仕事だ」

ワトソン
「一日の仕事を終えてから、さらに机に向かうのだからね」

ホームズ
「それも、一日や一週間ではない。多くの受験者は、前年十一月頃から翌年七月まで、およそ八か月間にわたって準備を続ける」

八か月という期間だけを見れば、長く感じるかもしれない。

しかし、仕事が繁忙期に入れば、予定していた勉強はできなくなる。急な出張、障害対応、施工上の問題、顧客からの要請などにより、帰宅が深夜になる日もある。

休日も、必ず自由に使えるとは限らない。

このため、計画上の八か月と、実際に使える学習時間には大きな差が生じる。

技術士試験の最初の難しさは、試験問題の中ではなく、受験生活そのものにある。

第2章 時間がないのではなく、時間が読めない

ワトソン
「では、毎日二時間勉強すると決めればよいのではないか?」

ホームズ
「現実を無視した計画は、計画ではない。願望だよ」

社会人受験者にとって難しいのは、単に勉強時間が少ないことではない。

明日の仕事が何時に終わるか分からない。

来週、どれだけ忙しくなるか分からない。

体調や家庭の予定も変わる。

つまり、使える時間が不安定なのである。

「平日は毎日二時間、休日は六時間勉強する」と決めても、実行できない週が続けば、計画は崩れる。

すると、多くの受験者は次のように考える。

予定どおり進んでいない。
他の受験者より遅れている。
もっと勉強時間を増やさなければならない。
しかし、仕事が忙しくて時間を増やせない。

この状態が続くと、勉強そのものが苦痛になる。

ワトソン
「遅れを取り戻そうとして、さらに無理な計画を立てるわけか」

ホームズ
「そうだ。そして、実行できずに自己評価を下げる。これは能力の問題ではない。計画の作り方が間違っている」

社会人の学習計画は、最も調子のよい日に合わせて作ってはいけない。

残業した日でもできる学習。
疲れている日でも続けられる学習。
十分な時間がない日にも、試験との接点を切らない学習。

これを組み込む必要がある。

例えば、答案一本を書く時間がなければ、問題文だけを読む。

骨子全体を作れなければ、課題を一つだけ考える。

新しい資料を読む余裕がなければ、添削された答案を十分間見直す。

ホームズ
「合格者は、毎日十分な時間を確保できた人ではない。限られた時間に合わせて、勉強の大きさを変えられた人なのだ」

第3章 モチベーションは、頼りになる燃料ではない

ワトソン
「それでも、最後は本人のやる気ではないのか。強い決意があれば、八か月間続けられるだろう」

ホームズ
「ワトソン君、八か月間、一度も意欲を失わない人間がいるなら、ぜひ紹介してほしいものだ」

モチベーションは一定ではない。

申込みを決めた直後は、意欲が高い。

新しい教材を開いたときも、前向きな気持ちになる。

しかし、仕事が忙しくなり、答案を書いても思うような評価が得られないと、意欲は下がる。

自分より進んでいる受験者を見れば、焦りも生じる。

模擬答案を書けず、提出期限を過ぎれば、講座や勉強会から距離を置きたくなることもある。

ワトソン
「一度遅れると、そのまま勉強しなくなる人もいるね」

ホームズ
「彼らは怠けているのではない。遅れている自分を見ることが苦しくなっているのだ」

ここで必要なのは、気持ちを奮い立たせることではない。

意欲が低い日でも実行できる仕組みを作ることである。

勉強する時刻を決める。

使う教材を絞る。

提出日を先に決める。

受験仲間や講師に進捗を伝える。

机に向かえない日は、通勤中に問題文を読む。

こうした仕組みによって、判断の回数を減らす。

「今日は勉強するか」と毎日考えれば、疲れている日は休む理由を探してしまう。

それよりも、「帰宅後に十分だけ答案を見る」と決めておく方が継続しやすい。

ホームズ
「やる気が出たら勉強するのではない。勉強を始めるから、やる気が少し戻るのだ」

ワトソン
「行動が先で、意欲が後なのか」

ホームズ
「少なくとも、毎日意欲が先に来ると期待しないことだ」

第4章 知識のある人ほど陥る「完全主義」

経験豊富な技術者は、自分の専門分野に対する責任感が強い。

そのため、答案でも正確に、詳しく、漏れなく説明しようとする。

しかし、技術士試験では、これが弱点になることがある。

ワトソン
「詳しく書くことが、なぜ弱点になるのだ?」

ホームズ
「答案用紙には限りがあるからだ。すべてを書くことは、重要なものを選べないことと同じになる」

実務では、前提条件を確認し、データを集め、関係者と協議しながら結論を出す。

しかし、試験では、限られた問題文と自分の知識を基に、短時間で答案を構成する。

当然、現実の業務と同じ情報量は得られない。

それでも、条件を合理的に設定し、重要な論点を選び、解決策を示さなければならない。

完全な情報がないから書けない。

もっと調べなければ判断できない。

専門的に厳密でない表現は書きたくない。

このように考えすぎると、書き始めるまでに時間を使う。あるいは、一つの説明を詳しく書きすぎ、後半の設問が薄くなる。

ホームズ
「試験委員は、百科事典を求めているのではない。限られた条件の中で、重要なことを判断できる技術者を見ている」

技術士に求められるのは、何でも知っていることではない。

複合的な問題を把握する。

背景と制約要因を分析する。

相反する要求事項を確認する。

複数の選択肢を比較する。

その上で、合理的な解決策を示す。

専門知識は、この判断を支えるために使う。

知識を披露するために使うのではない。令和八年度から適用されるコンピテンシーでも、専門知識の保有だけでなく、複合的な問題の定義、背景・制約要因の分析、相反事項の考慮、複数案からの合理的な解決が重視されている。

第5章 勉強したのに伸びない人の共通点

ワトソン
「長い時間勉強しているのに、答案が伸びない人もいる。何が違うのだろう」

ホームズ
「勉強した時間と、能力が伸びた量を混同しているのだ」

参考書を読む。

白書を読む。

講義を聞く。

模範答案を眺める。

これらは必要な学習である。

しかし、読むだけでは、答案を書く力は十分に伸びない。

泳ぎ方の本を読んでも、水に入らなければ泳げるようにならない。同様に、論文の書き方を理解しても、自分で問題文を読み、骨子を作り、文章にしなければ、答案作成能力は身につかない。

ワトソン
「インプットばかりで、アウトプットが不足しているのか」

ホームズ
「それだけではない。書いた後の検証も不足している」

答案を書いたら、次の点を確認する必要がある。

設問で求められた内容を書いたか。

課題は、解決可能な粒度になっているか。

最重要課題の選定理由は明確か。

解決策は、課題の原因に対応しているか。

技術的効果を説明したか。

相反する要求事項を調整しているか。

新たなリスクは、実施した解決策から生じるものか。

これらを確認せず、別の問題へ進んでも、同じ誤りを繰り返す。

十本の答案を書くより、一本の答案から自分の弱点を三つ見つけ、次の答案で直す方が効果的な場合もある。

ホームズ
「努力が不足しているのではない。努力の結果を観察し、修正する工程が抜けているのだ」

第6章 不合格は、技術者としての否定ではない

ワトソンは、再び答案に目を落とした。

ワトソン
「低い評価を受けると、自分は技術者として能力がないのではないかと思う人もいるだろう」

ホームズ
「それは飛躍した結論だ」

実務能力と試験での答案作成能力は、重なる部分がある。しかし、同じものではない。

優れた技術者でも、設問の要求を読み違えることがある。

豊富な経験を持っていても、それを短い文章に整理することが苦手な人はいる。

口頭では的確に説明できても、手書きの論文では時間が足りなくなることもある。

したがって、不合格は、その人の技術者人生全体を否定するものではない。

試験で必要な能力の一部が、まだ答案上に表れていないということである。

ホームズ
「原因を人格に求めてはいけない。観察できる行動に分解するのだ」

問題文の読み取りが弱いのか。

知識の整理が不足しているのか。

骨子作成に時間がかかるのか。

文章が長すぎるのか。

手書き速度が不足しているのか。

原因が分かれば、対策を立てられる。

ワトソン
「『自分には才能がない』では、何も直せない。しかし、『骨子作成に四十分かかる』なら、短縮する練習ができるわけだ」

ホームズ
「ようやく君も、感情ではなく証拠を見るようになったね」

エピローグ 難しさを分解すれば、前へ進める

ワトソン
「技術士試験が難しい理由が見えてきた。

仕事と家庭の中で時間を確保すること。

八か月間、学習を続けること。

限られた時間の中で、重要な知識を選ぶこと。

そして、自分の弱点を受け止め、修正すること。

知識以前にも、いくつもの難関があるのだね」

ホームズ
「そうだ。だが、難関が複数あるということは、対策も分けて考えられるということだ」

時間が不足するなら、学習の最低単位を小さくする。

意欲が続かないなら、意欲に頼らない仕組みを作る。

完全主義で書けないなら、設問で求められた範囲に絞る。

答案が伸びないなら、書いた本数ではなく、修正できた弱点を確認する。

ホームズ
「難しさを一つの巨大な壁として見れば、立ち止まってしまう。しかし、壁を構成する石を一つずつ見れば、取り除く方法が分かる」

ワトソン
「だが、まだ最大の疑問が残っている。知識を持つ技術者が、なぜ答案になると書けなくなるのか。その仕組みを、もっと詳しく知りたい」

ホームズ
「それこそ後編の事件だ。次は、頭の中に散らばった知識の点を、論理の線へ変える方法を調べよう。そして、受験者が頼りがちな『A評価答案の丸暗記』という、危険な証拠についてもね」

私(匠)は『日本シャーロック・ホームズ・クラブ』の正式会員です。
「日本シャーロック・ホームズ・クラブ(JSHC)」は、1977年に設立された日本最大級のシャーロック・ホームズ愛好家(シャーロキアン)の親睦団体です。全国に約700名の会員を擁し、専門的な研究からファンの交流まで幅広い活動を行っています。

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・入会のしやすさ: 論文の提出義務などはなく、ホームズを愛する気持ちがあれば誰でも気軽に参加できるウェルカムな雰囲気のクラブです。

この記事を書いた人

匠 習作

代表:匠 習作(たくみ しゅうさく・本名は菊地孝仁)
開講10年の歴史/総受講者数650名以上/web授業の先駆者

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